月別アーカイブ: 2023年4月

母の介護奮闘記-6

目次:

☆2023年4月12日(水)母からのメールで「ここは聞くカラオケや」と言う?

☆2023年4月12日(水)グループホームをすすめてくれた大阪の看護師Nさんから電話があった!

☆2023年4月22日(土)面会に行くと母は?

☆2023年4月12日(水)母からのメールで「ここは聞くカラオケや」と言う?

2023年4月12日の10時にA市の健康保険証や介護保険証ができたので持参しました。その場では、母への面会を事前予約していなかったのでやめましたが、ケアマネのHさんに母の様子を聞くと、「少し慣れてこられたようです。今までに来た方の中でも一番静かですね。ただ、まだ帰れると思っておられるようです」とのことでした。私からは、「そうですね。同調意識は高いですから」と言いました。また、母とのメールで「カラオケしたかと打ったら、聞くカラオケやったと返事がきましたね」と言い、その理由を聞くと、「あっ!そうそう、二階(母のいる)のマイクが故障してたんや」とのことでした。私からは、思わず「ここに連れてくるのに、カラオケもあるしいーーーと何回も言ったのでーー」と言いましたね。

☆2023年4月12日(水)グループホームをすすめてくれた大阪の看護師Nさんから電話があった!

2023年4月12日(水)に以前お世話になった大阪の訪問看護師Nさんから電話がありました。電話の目的は、母に訪問看護費で未払いのお金がまだあった(2431円?)のでどうしましょうかと言うことだったのですが、このことよりも、母が今入所しているグループホームのケアマネから電話があって薬の処方についての問い合わせと、今の様子の説明があったということを言ってくれました。個人情報保護の時代ですが、こんなことは大いにやってほしいと思いましたね。それと、私からは逆にこちらのグループホームの管理体制というか、「しっかり運営できているのか」ということを伺いました!!。

また、施設との付き合い方で一つアドバイスをいただきました。それは、私が、「面会は10分だけだし、あまり行く気になれない」と言うと、「受け入れ施設のほうは、家族が入所者(母)に対してどのような態度かを見てますよ。それによって母への対応が違ってきます。足繁く行くことですね」ということでした。いつもこのNさんは、ずばりと言ってくれます。

☆2023年4月22日(土)面会に行くと母は?

2023年4月22日(土)の14時に面会に行きました。今回は、大阪の家に行って、春夏用の服やその他で、母がほしいものを取り行くので、それを聞くためです。二階からヘルパーさんに手を引かれて連れられてきた母に、「誰かわかるか?」と言うと、流石にまだはっきりと「何言うてんの?」と言いましたので、私とわかり、ほっとしましたね。

表情は穏やかで、なぜかニコニコしています。また、付き添ってきた、ヘルパーさんに終始甘えているような感じなのです。ほしいものを聞いても、自分からあまり言わず、ヘルパーさんから「長袖のTシャツくらいですかね」という反応です。「養命酒はまだあるの?」「薬はちゃんと飲んでるんか?」「ビオフェルミンは?」と聞くと、「ビオフェルミンは持ってきてない。」というので、ヘルパーさんにも聞きましたが、わかりませんでした。どうも頓服で、母が必要だと言ったら飲ますようになっていたので、持参の薬手帳では、直近の処方箋にはなかったのかもしれません。後日確認です。今日は、「いつ帰るの?」とは聞かれませんでしたね。でも、どうなんでしょうね?これって認知症が進んだとも言えるのでしょうか?

また、カラオケについて聞くと、やっと状況がわかりました。ヘルパーさんが言うには、①2階と3階で1台しかなく、交互に使っていること、②そのマイクが昨日、修理が済んだとのことでした。マイクなら大阪の家にあるので、差し上げますよと言うと、そこまでは結構ですと言われました。

一通り聞くと、すでに15分を過ぎていて、ヘルパーさんから、「テーブルの上の面会記録を書いてくださいね。でも、15分にしてください。」と言われました。厳密に運営してるようです!。

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水戸-新宿ソロライドで酷道6号線を走る!・・・予定変更で232キロ

水戸城大手門

2023年4月13日(水)から久しぶりのロングソロライドに出ました。今回は、飛行機で茨城空港から国道6号線で仙台まで、279キロを走る計画で出発しました。実は、この計画は昨年9月に行く予定で飛行機も押さえたのですが、腰痛が出たため延期にしていたのです。たまたまSKYMARKの「たす得」でしたので、1年間の同経路での延期が可能につき、当時予約のできる一番遅い3月にしていたのですが、寒さのため4月以降が予約可能となった3月の中旬を期に、再度4月に変更したのです。

飛行機用の輪行バッグにバイクを詰めて神戸空港から茨城空港へ着き、早速自転車を組み立て、このバッグは仙台の予約したホテルに送り、初日の予定である水戸駅前の「水戸三の丸ホテル」まで30キロを走りました。その日はここで1泊し、さあ明日から「いわき」に向けて出発と思っていたのですが、その晩に、東京にいる私の娘からの連絡で5歳の孫が昨日夕刻に公園の出口で自転車とぶつかり、すね(脛骨)骨折でギプスとなったこと、本人は家にいてギプス以外何の処置もなく、痛みもない状態とのことで、トイレ等の介助などあり、急がないができれば来てほしいとのことでした。困った----。緊急事態ですので、私はここで仙台行きを断念し、とにかく東京(新宿から西約9キロ)へ向かうことにしたのです。水戸から娘の家まで、130キロあまり、電車で行くことも選択肢にあったのですが、明日中に着けばよいとのことでしたので、新宿めがけてロードバイクで走ることにしました。

翌日、朝7時過ぎにホテルをチェックアウトして、新宿を目指してスタートしました。当日は、強風、向い風で走りにくい上、国道6号線は、ほとんどが片側1車線で、路肩(白線の外側)も50センチ程度のところも多く、おまけにトラックやトレーラーの比率が高く、横を至近距離で追い越して行くので、何度も恐怖を感じながらのライドとなりました。また、利根川や荒川等の大きな河の渡河は風が強く、普段なら車道を走れるのに、流石に怖くて歩道を風に抗いながらの走行で、この道路はまさに「酷道6号線」でした。

その後、この「酷道6号」から、環状7号に入る交差点がわからず直進したため、東京スカイツリー辺りの浅草橋まできてしまいました。ナビはバッテリーのこともあり使わなかったのですが、そこで初めてグーグルナビを使うことにしました。これが正解でした。というのは、郊外より都内の方が路面にブルーの表示のある自転車道が多く、また、このナビでは「車」ではなく「自転車」の選択で親切な表示と案内がありスイスイと走れるのです。ちなみに茨城空港や水戸では「自転車」の選択はできませんでした。都内に入ってまず気づいたのですが、急に外国人の数が多くなり、ロードバイクの外国人も結構いるのはびっくりでしたね。その後、夕方3時半ごろにやっと新宿駅に着き、孫の家には、4時前に着くことができ、そこでケガにも拘わらず、足以外は元気でケロッとした孫の顔を見てほっとしましたね。グーグルナビに感謝です。

スカイツリーまで来てしまった!

2023年4月14日(金)の16時から、4月20日(木)の18時半までは、孫の相手と娘の家事のヘルパー!をしましたね。でも、私はあいにくこれが苦手なのです。(この辺りの詳細はカットします)という訳で、孫の様子もわかったので、6泊し20日に帰ることにし、帰りは、大阪まで輪行のできる夜行バス(ブルーライナー)があることをネットで見つけ、輪行袋があったので、このバスを利用することにしました。なお、三宮までのバスはあるのですが、輪行は大阪梅田行きしかないようです。この路線のバス利用は学生時代の東京ー大阪のドリーム号以来ですね。

ところでバスタ新宿の待合室、バス乗り場、それにバス内は、アルコールの飲酒禁止なんですね。それを知らずに待合室のコンビニでビールを買ったのですが、店員さんから言われ、やむを得ずもう一度、重い輪行袋を持って二階までエレベーターで降り、新宿駅前の広場まで行き、缶ビールの一気飲みをしましたよ。

2023年4月21日(金)の朝6時20分に、バスは大阪梅田のプラザモータープールに着きました。ここはトイレも休憩所もなく、ただ駐車場だけなのでびっくりしました。今回、あまり眠れなかったのですが、このまま電車に乗ってもラッシュアワーなので、ここで元気を出してバイクを組み立ててみたのですが、この時チェーンがペダルの間に挟まってしまって抜けないのです。前にも沖縄のやんばるの山中であったのと同じようです。無理をするとチェーンが曲がったり、切れたりするので、慎重に30分ほど格闘してやっととることができました。要は、大きい方のギアを少し押して、ペダルとのわずかな隙間を広げるのがコツのようですね。

何とかバイクも組み立てることができ、7時過ぎから早朝の大阪を抜け、淀川を渡り国道2号線をひた走り、3時間あまりで明石に着くことができました。この日の走行は59.43キロ。

今回の予定変更のライドは、総計231.56キロ、平均時速20.8キロでした。

こんな記事を書いていますが、孫が今のところ何とか回復途上だから、ライドができ、書けるのです。とにかく、孫が早く無事に完治するのを待つばかり。お願い。

明石に着いた!

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母の介護奮闘記-5

目次:グループホーム編・・・・母の介護奮闘記-5

☆2023年4月5日 グループホームC八木に面会に行くと・・母が「いつ帰るの?」

☆2023年4月6日 叔母からの電話・・母に「ボディスーツ送るから」って?

(振り返ってみると)

母を明石に連れてきて、これから暫く?は、大阪まで車で行く必要がなくなりました。私が介護のことがあり、2018年から、一体どれくらい往復したのか?また、多くなったのはなぜなのかが気になり、手帳を引っ張りだしてきました。結果は、178回で、多くなった原因は、やはり転倒による通院とコロナワクチン等がきっかけのようでした。ちなみに、Ⅰ往復160キロですので、28,480キロ、ガソリン代は約31万円也(@110円/Lとして)でした。これに高速代(往復3700円)が本来がかかるのですが、高速を使ったのは、年に2~3回程度でしたね。

2018年・・・12回(私が常勤をやめた2016年4月以降は、月1回程度)

2019年・・・25回(2019年3月27日に、母は転倒右手脱臼で通院)

2020年・・・21回(2020年11月2日に、母は転倒で顎骨折で通院)

2021年・・・28回(6月コロナ1回目コロナワクチン接種)

2022年・・・25回(デイサービス、訪問看護、ヘルパーで週7日開始。11月20日に5回目コロナワクチン接種)

2023年・・・9回(4月3日の入所まで) 

計  ・・・178回

☆2023年4月5日 グループホームC八木に面会に行くと・・母が「いつ帰るの?」

2023年4月5日に、母を連れてくる4月2日に実家にあって洗濯をしていない普段着があったので、それを私の家で洗って持っていく必要がありました。予め電話でケアマネのHさんに、「いつがいいですかね」と聞くと、15時過ぎとのことでした。その時間に行くと、今、会う方がいいのか、会わない方がいいのかも含めてHさんに任せると、「会っていただいてもいいですよ」との返事でしたので、母を1階の入口近くの3脚ほど椅子のある場所に連れてきてくれました。10分とのことだったので、検温の上、母と会い、話をしましたが、ケアマネさんが立ち会いですので、母の口が堅いのかあまり喋らず、私に「いつ帰るの?」と聞くのです。そこでHさんは、「息子さんも忙しいのでね」と言い、私はと言えば、言葉が見つからず困り果て、「夜は持ってきた電機毛布を使っているんか?」「電気ザブトンは?」と聞くと、Hさんが「暖かいので使っていませんね」とのことでした。私が「何かいるものはないか?」と聞いても、母からは「ない」と言うだけでした。母から「いつ帰るの?」ということをこの場で聞くのは、私の側からは、寂しいというか、何ともいえない複雑な気持ちになりますね。介護をしている人はみんな経験するのでしょうが・・・・。

☆2023年4月6日 叔母からの電話・・母に「ボディスーツ送るから」って?

母には10才以上離れた弟(叔父)と妹(叔母)がいます。叔母の方は関東に住んでおり、コロナ以降は来ることもなく、もう3年以上会っていないのですが、母によく電話はするのです。今回のことも、私は入所翌日の4月4日に電話で伝えたのですが、どうも入所に対して疑問(まだ在宅でいける)のような言い方でした。母との電話の会話では母が普通のように聞こえるのでしょうね。もうほとんど家の中しか歩けないことや、トイレを汚して自分ではわからず掃除が大変なことがあること、家の風呂にはここ1年近く入れないこと、給湯器と風呂の元栓の3つのスイッチがわからずに皿を洗うお湯を出すのに、風呂の「自動ボタン」を押したり、ガスファンヒーターの前に大量の洗濯物を置いて乾かし、何度言っても聞かず、いつ火事になるかわからないとか・・・電話で話をするのと介護の現場は全く異なる!のです。

その叔母が私に4月6日の20時頃に電話をかけてきて、「さっき、ねえちゃんに電話したら、明るかったで!」ということで少しびっくりしたことと、母との話で「ボディスーツの新しいのを、あんたの家に送るから今度、持って行ってあげて」とのことでした。ボディスーツに関しては、私は男なのでわかりませんが、いつも内科の通院の時に、60代の女医にびっくりされたり、レントゲンやMRI、胸の聴診器の時に股間のホックを外したりと、「これってどうなの」と思っていたのです。大阪で担当のケアマネに相談すると、「パッドのついた下着を買ってあげてくださいね」と言うので、女房に買ってもらって持っていたのですが、母は「胸のパッドをはずす(糸をとる)」と言って、それもせず結局1枚も使わない状態でした。叔母にそのことを言っても、「人それぞれ」で聞く耳を持たずでした。グループホームに限らず、特養や老健がどんな場所か想像ができないのでしょうね。叔母は、母と同じで今まで一度も介護の経験がありません。体重36キロの母に、あんなきっちりした「矯正下着」がいるのですかね。グループホームにいる人は、パジャマか、動きやすいスポーツウエアみたいなものがほとんどですよね。どうもこの叔母と話していると温度差がありすぎて「いらっ!」としますね。

この叔母も母もそうですが、二人とも、たまたま同居の父母もおらず、昔でいう跡取りの嫁でもなかったので、認知症の親の直接の世話(しもの世話等を含め)をしたり、介護施設を自分の足で探したり、お金のことを考えたりしたことがないのです。私も記憶にありますが、30年近く前に、特養(当時は老人ホーム?)にいた祖母をガラス越しで会いに行く程度だったんですね。その点、もう亡くなった兄みたいなTさんと奥様(前述)、叔父(母の弟)の奥様は、よく経験されていて話がスムースなのです。

私がそうですが、介護経験のない親を持つ子供は、介護で苦労するのかも知れませんね。介護経験があれば、認知症の対応や、介護施設のことを含め、その大変さはわかりますよね。私は自分自身のことを考えると、母のことが一段落したら、娘に「自分の今後の介護のことを書いたもの」を渡そうと思っています。

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