日別アーカイブ: 2023年4月7日

母の介護奮闘記-5

目次:グループホーム編・・・・母の介護奮闘記-5

☆2023年4月5日 グループホームC八木に面会に行くと・・母が「いつ帰るの?」

☆2023年4月6日 叔母からの電話・・母に「ボディスーツ送るから」って?

(振り返ってみると)

母を明石に連れてきて、これから暫く?は、大阪まで車で行く必要がなくなりました。私が介護のことがあり、2018年から、一体どれくらい往復したのか?また、多くなったのはなぜなのかが気になり、手帳を引っ張りだしてきました。結果は、178回で、多くなった原因は、やはり転倒による通院とコロナワクチン等がきっかけのようでした。ちなみに、Ⅰ往復160キロですので、28,480キロ、ガソリン代は約31万円也(@110円/Lとして)でした。これに高速代(往復3700円)が本来がかかるのですが、高速を使ったのは、年に2~3回程度でしたね。

2018年・・・12回(私が常勤をやめた2016年4月以降は、月1回程度)

2019年・・・25回(2019年3月27日に、母は転倒右手脱臼で通院)

2020年・・・21回(2020年11月2日に、母は転倒で顎骨折で通院)

2021年・・・28回(6月コロナ1回目コロナワクチン接種)

2022年・・・25回(デイサービス、訪問看護、ヘルパーで週7日開始。11月20日に5回目コロナワクチン接種)

2023年・・・9回(4月3日の入所まで) 

計  ・・・178回

☆2023年4月5日 グループホームC八木に面会に行くと・・母が「いつ帰るの?」

2023年4月5日に、母を連れてくる4月2日に実家にあって洗濯をしていない普段着があったので、それを私の家で洗って持っていく必要がありました。予め電話でケアマネのHさんに、「いつがいいですかね」と聞くと、15時過ぎとのことでした。その時間に行くと、今、会う方がいいのか、会わない方がいいのかも含めてHさんに任せると、「会っていただいてもいいですよ」との返事でしたので、母を1階の入口近くの3脚ほど椅子のある場所に連れてきてくれました。10分とのことだったので、検温の上、母と会い、話をしましたが、ケアマネさんが立ち会いですので、母の口が堅いのかあまり喋らず、私に「いつ帰るの?」と聞くのです。そこでHさんは、「息子さんも忙しいのでね」と言い、私はと言えば、言葉が見つからず困り果て、「夜は持ってきた電機毛布を使っているんか?」「電気ザブトンは?」と聞くと、Hさんが「暖かいので使っていませんね」とのことでした。私が「何かいるものはないか?」と聞いても、母からは「ない」と言うだけでした。母から「いつ帰るの?」ということをこの場で聞くのは、私の側からは、寂しいというか、何ともいえない複雑な気持ちになりますね。介護をしている人はみんな経験するのでしょうが・・・・。

☆2023年4月6日 叔母からの電話・・母に「ボディスーツ送るから」って?

母には10才以上離れた弟(叔父)と妹(叔母)がいます。叔母の方は関東に住んでおり、コロナ以降は来ることもなく、もう3年以上会っていないのですが、母によく電話はするのです。今回のことも、私は入所翌日の4月4日に電話で伝えたのですが、どうも入所に対して疑問(まだ在宅でいける)のような言い方でした。母との電話の会話では母が普通のように聞こえるのでしょうね。もうほとんど家の中しか歩けないことや、トイレを汚して自分ではわからず掃除が大変なことがあること、家の風呂にはここ1年近く入れないこと、給湯器と風呂の元栓の3つのスイッチがわからずに皿を洗うお湯を出すのに、風呂の「自動ボタン」を押したり、ガスファンヒーターの前に大量の洗濯物を置いて乾かし、何度言っても聞かず、いつ火事になるかわからないとか・・・電話で話をするのと介護の現場は全く異なる!のです。

その叔母が私に4月6日の20時頃に電話をかけてきて、「さっき、ねえちゃんに電話したら、明るかったで!」ということで少しびっくりしたことと、母との話で「ボディスーツの新しいのを、あんたの家に送るから今度、持って行ってあげて」とのことでした。ボディスーツに関しては、私は男なのでわかりませんが、いつも内科の通院の時に、60代の女医にびっくりされたり、レントゲンやMRI、胸の聴診器の時に股間のホックを外したりと、「これってどうなの」と思っていたのです。大阪で担当のケアマネに相談すると、「パッドのついた下着を買ってあげてくださいね」と言うので、女房に買ってもらって持っていたのですが、母は「胸のパッドをはずす(糸をとる)」と言って、それもせず結局1枚も使わない状態でした。叔母にそのことを言っても、「人それぞれ」で聞く耳を持たずでした。グループホームに限らず、特養や老健がどんな場所か想像ができないのでしょうね。叔母は、母と同じで今まで一度も介護の経験がありません。体重36キロの母に、あんなきっちりした「矯正下着」がいるのですかね。グループホームにいる人は、パジャマか、動きやすいスポーツウエアみたいなものがほとんどですよね。どうもこの叔母と話していると温度差がありすぎて「いらっ!」としますね。

この叔母も母もそうですが、二人とも、たまたま同居の父母もおらず、昔でいう跡取りの嫁でもなかったので、認知症の親の直接の世話(しもの世話等を含め)をしたり、介護施設を自分の足で探したり、お金のことを考えたりしたことがないのです。私も記憶にありますが、30年近く前に、特養(当時は老人ホーム?)にいた祖母をガラス越しで会いに行く程度だったんですね。その点、もう亡くなった兄みたいなTさんと奥様(前述)、叔父(母の弟)の奥様は、よく経験されていて話がスムースなのです。

私がそうですが、介護経験のない親を持つ子供は、介護で苦労するのかも知れませんね。介護経験があれば、認知症の対応や、介護施設のことを含め、その大変さはわかりますよね。私は自分自身のことを考えると、母のことが一段落したら、娘に「自分の今後の介護のことを書いたもの」を渡そうと思っています。

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