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茨城空港-仙台279キロ国道6号ソロライド・・・台風で予定変更。191キロ走り、仙台で十数年ぶりに恩師に会う!

国道6号線を北上のソロロングライド計画

もともと私は宮城県仙台市のすぐ南にある岩沼市で会社員生活をスタートし、2年間の勤務後、関西に住んでいたのですが、2004年4月から、再度岩沼市に3年間の単身赴任をしていたこともあり、私のいくつかのロングライドの計画の中から仙台を目標に、浜側の国道6号線を茨城から北上するルートで走ってみたいと思っていました。もちろん福島の原発近辺の状況にも世間一般的な関心もありましたので。

この計画は、最初は昨年2022年9月の予定でフライトも押さえたのですが、腰痛が出たため延期にし、さらに、寒さの緩んだ今年2023年4月に再挑戦したのですが、神戸空港から茨城空港まで飛び、水戸までライドして宿泊中の夜に、たまたま東京の孫がケガをしたという連絡を受け、急遽、行先を北から南に変え、水戸から東京に戻ったのでした。(このHPにも記事あり)

その後、孫のケガもほぼ完治したのですが、SKYMARKの1年間有効の「たす得」チケットの復路の仙台から神戸間だけが残ったままで、その期限が9月11日であることから、今回また再々挑戦することにしたのでした。

◎2023年9月7日(木)・・初日

自宅を9時に出発し、神戸空港11時50分発の茨城空港行きのSKYMARKに乗りました。前日に4月と同じように飛行機用の輪行袋にロードバイクを詰めたのですが、破損回避のためリアディレーラーを外したり、サドルを下げないと輪行袋に収納できないとか、結構今までの経験が活かされない状況でしたね。そして茨城空港に13時に着きました。茨城空港内で今度は自転車を組み立て、この飛行機用輪行バッグはゴールである仙台の予約したホテルに宅急便で送ることまでは、前回と全く同じ作業です。

家で飛行機用輪行袋に詰めた!

前回と違うのは、初日の予定は水戸(茨城空港から30キロ)ではなく、もう少し先の日立(同55キロ)に設定し、天候次第でどうするか決める予定でしたが、この日は、くもりで走りやすかったこともあり、16時頃の休憩で日立駅近辺のホテルの状況をネットでみると適当なところがなく、一つ手前の常陸多賀駅にあるルートイン常陸多賀にすることに決めました。ここで1泊し、さあ明日から「いわき」に向けて出発と思ってたのですが・・。

この日の記録は、距離:52.03キロ、時間:2時間16分40秒、平均時速:22.8キロでした。

常陸多賀駅に着いた!

この日の夜にテレビの天気予報やスマホで雨雲レーダーを再三見ていましたが、どうも台風13号が近づいてきて、この辺りは線状降水帯の経路になるようです。流石に安全第一ですので、どうも朝早くここを発った方がよさそうなのです。これからどうするか、台風が来る前でJR常磐線が動いている内に、仙台へ行ってしまおうか、それとも、様子見で「いわき」か、もう少し先にするかが悩みどころでした。ともあれ、結局、電車移動をするかは翌朝に決断することにしました。

◎2023年9月7日(金)・・2日目

この日は早朝からテレビを見て、スマホの雨雲レーダーを見ながら、結局、JRでの輪行を決断し、急いでホテルの部屋でロードバイクを輪行袋に詰めました。その後、ホテルをチェックアウトし、すでに小雨が降り始めた中、常陸多賀駅に徒歩で向かいました。この時点では電車は通常運行でした。8時頃で通学の学生が多かったようです。その後、電車の中で、今日のホテルをどうするかを「じゃらん」で、調べて今後のことを考え、いわき駅近くの「パシフィコホテル&スパ」を予約しました。本当は、「いわき湯本」にしたかったのですが、コスパで断念しましたね。

常陸多賀駅からいわき駅までJRで輪行

常磐線の日立多賀駅からは約1時間でいわき駅に着きました。さてこれからどうするか? ホテルのチェックインまでは、5時間以上も時間があります。外は台風による強風を伴う雨でしたので、アーケードのある立派ないわき駅の出口付近か、となりのビルにある複合施設しか待機する場所がありません。取り合えず予約したホテルに電話して、輪行袋に詰めた自転車を預かってくれないか尋ねるとOKしてくれ、ほっと一息です。その後、雨の中をホテルに行き、重たい輪行袋を預けることができました。

輪行でいわき駅に着いた!

それからがまた大変です。大雨の中、時間の潰しようがないのです。一つの案は、「いわき湯本」までJRで戻って、温泉&散策もあるのですが、台風次第で戻れなくなる可能性があります。困った。結局、駅近くの複合施設の中を5時間くらい座っているか、うろうろしましたね。

15時にやっと、ホテルにチェックインできました。まずは施設内にある風呂でゆっくりし、部屋でひたすらテレビの台風情報とスマホで雨雲レーダー等をチェックします。その後、夕食と朝食の買い出しに外へ行くと、もう台風の強風になっていました。その内に、今晩には環状降水帯がここを通り抜ける可能性があることが分かってきました。その後、夕方から19時くらいにかけて、いわき市の発するスマホの「緊急速報メール」とアラーム(この音が大きいのです)が深夜まで4回くらい続きましたね。後でわかったのですが、この時点でいわき市の山側は大変な状況になっていました。

いわき市からの緊急速報メールが23時過ぎまで4回ほど来ました。

◎2023年9月9日(土)・・3日目

テレビで見ていると、朝方には台風も熱帯低気圧に変わりそうだということや、環状降水帯も徐々に、北東に去っていくのが、雨雲レーダーでわかりました。また、道路封鎖情報もネットで見ると、山側が寸断されているものの、国道6号線は大丈夫そうです。8時過ぎでしょうか、今日は走れると決断し、輪行袋からロードバイクを取出し、組み立てにかかりました。そして雨雲レーダーから判断し、出発を9時と決めました。

出発の9時には、雨はほぼ止んでいました。雨雲レーダーが正しかったですね。でもその後、小さな雨雲があるのか2キロほど走ると、急に雨が降ってきて、またまたどうするか迷うのですが、結局コンビニで雨宿りをしていると小雨になってきたので、また走り出しました。それ以降は、くもりでそのまま迷うことなく走り続けることができましたが、20キロくらい走った辺りの双葉の広野あたりでも、また雨に会いましたね。でも、ちょうど休憩を取り、雨が止んでまた走ることができました。

それ以降は、順調「以上」に走れました。というか30キロごとに休憩をとるのですが、気温が上がり30度を超す夏のような暑さになりました。それと、国道6号線をだだひたすら北上するのですが、原発の近くは風景が全く違いましたね。田畑は完全に放擲され、雑草が伸び放題の上、すべての外食やカーディラー、コンビニ、パチンコ等の娯楽施設は2011年の事故前そのままです。おまけに、国道6号線から海側の東へ抜ける道路はほぼ封鎖され警備員がすべての箇所にいましたね。「まだ、こんな状況なんだ」というのが実感です。その後、道の駅「なみえ」で昼食をとりましたが、ここは別天地のような綺麗さでした。

立派ななみえ(浪江)の道の駅

その後、南相馬に着いたのですが、実は元々今日はここまで走る予定でした。でも、まだ時間も早いですし、調子もいいのでもう少し行ってみることにしました。そして次の「道の駅そうま」に着いても、13時前です。どうしようか? このまま仙台まで行けそうなのです。そうこうするうちに「山元町山寺」のコンビニまで来ました。ここで今夜の宿を決めなければなりません。スマホの「じゃらん」で検索すると、仙台市内は、土曜日価格なのか、平日より格段に高い(2倍?)のですね。暫く検索していると、岩沼で(元)グリーピア岩沼の宿泊施設が、1万円程度ででてきました。ここは、現役時代に何回か行っており、土地勘もありましたので、結局、仙台市内での宿泊は諦め、ここに決定し、一応のゴールとすることにしました。

ゴール!!!!ホテルテトラリゾート仙台岩沼に到着

いわき出発から約6時間半で、岩沼の「ホテルテトラリゾート仙台岩沼」につきました。(途中、以前私がいた勤務先の工場の写真をとったりして)ゴール!!!!。

この日の記録は、走行距離:139.03キロ、時間:5時間25分56秒、平均時速:25.6キロ/Hでした。この平均時速は、私にとって1日100キロ以上のライドでは、最速だと思います。その原因は、国道6号線の原発の近くの区間は、車と信号が少なく、信号は黄色点滅もあり、かつ全コースに亘り、アップダウンも少ないこと、それに土曜日だったことが原因と思いますね。まれにみる高速コースでしたね。

この日は、ここ「ホテルテトラリゾート仙台岩沼」に宿泊しましたが、ここでの夕食は、辿り着けさえすれば何かあるだろうと思っていたのですが、夕食であるのはカップラーメンだけ??とのことでした。トホホですね。ほとんどの人は車で来るので、ふもとのスーパーで買ってくる由ですが、実はこの場所は山の上で、自転車で来る場合には、大変なヒルクライムがあるのです。私は頑張って上ってきたのですが、140キロ走ってきて、二度とあのヒルクライムはしたくなかったのでした。そんなわけでここのスタッフにお願いし、ふもとの「出前館」のスマホでのネット注文方法の指南を受け、何とか夕食にありつけました。その時に、このスタッフの方からサイクリストの話を聞かれたので、ホテルへのニーズとかいろいろ話をさせていただきました。(少しくどかったかな?と反省しきりです。)

◎2023年9月10日(日)・・4日目

私としては、もしもの為の1日を見込み、予定通りであれば仙台で1日ゆっくりできる日として、フライト前の1日を想定していました。それで今日1日は、ぶらり仙台散策のポタリングとしました。この日は、たまたま仙台の「定禅寺ジャズフェス」があることをホテルで知りましたので、午前中は、十数年ぶりですが(過去に2回行きました。)、行ってみることにしました。

仙台の定禅寺ジャズフェスに行く!

午後は、今も仙台に住んでいて、私の勤めていた会社で、私の入社当時の指導担当だった恩師のKさん(年賀状だけになっていたのです)と13時半に会う約束ができたのでした。実は、昨日の岩沼到着後すぐに、突然ですが私からKさんに電話したところ、たまやま運がよくて、ご本人が電話にでてくれ、この日に仙台市内の長町駅で会うことになったのでした。もう40年近く前に、私の結婚式にも仙台からきてくれた恩師Kさん。現在86才、十数年ぶりの再会です。会うと時間が一気に縮まるのは不思議ですね。元気な様子がわかり、ほっとしました。帰りに、ご自宅まで寄ってくれと言われ、奥様にも会え、仙台のお土産まで頂戴し、本当に有難いことでした。

私は数百キロ離れた場所へのロングライドでは、その地にいる知人の連絡先を書いたメモを持っていくのです。でも、予め言うとロードバイクなので心配されることから、いつも突然コールになってしまいます。今までに、コロナで会えなかった友人と「門司-長崎」ライドで「門司」で会ったり、伊豆半島一周の最終日の「小田原」でも久しぶりに友人にあったりしました。でも今回のKさんとの再会は、本当に十数年ぶりとブランクが長く、格別でしたね。Kさん、お元気で・・・また会いましょう。

昔の恩師(86才)と会う!

その後は、ロードバイクで、空港近くの「千年希望の丘」を見に行き、予約のしてあった「スーパーホテル美田園」に17時に着きました。この日は、疲れていたのですが、まず飛行機用の輪行袋(茨城空港からこのホテルに送ったもの)に、ロードバイクを詰めました。その後、やっと1日の汗を流し、今回の旅のレビューをしてみました。少し、お金はかかったけど、とにかく台風に追われながら運よく200キロ近くも走れたことと、何といってもKさんに会えたことが一番良かったですね。

この日のポタリングの記録は、走行距離:42.45キロ、時間:2時間49分43秒、平均速度:15.1キロ/Hでした。

今回のロングライドで、結局、233.51キロ走ったことになります。

◎2023年9月11日(月)・・・5日目最終日

この日の朝8時に重い輪行袋を担ぎ、電車1駅で、仙台空港駅に行き、9時45分発の神戸空港行きSKYMARKに乗り、旅は終了しました。

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西粟倉ヒルクライム(2023秋)・・昨秋のリベンジ!

2023年9月3日(日)西粟倉ヒルクライムの秋大会にチャレンジしました。この春の大会は完走で、リベンジを果たしたことは書きましたが、そもそも去年の秋大会が、途中タイムオーバーだったので、本来はこの秋大会がリベンジマッチなのでしょうね。コースをじっくりみると、同じ12キロでも、春と秋ではコースも違うのでした。まあ、大した違いはなかろうと高をくくっていました。

9月3日(日)朝6時半に家を出発しました。今回は、たまたま女房と長女が、大会会場の近くでおいしいお店を見つけた由で、一緒にこの早朝から行くというのです。もっとも会場へ着けば別行動ですが・・。

すべて高速道路で100キロ走り7時45分頃には、会場へ到着し、8時からのエントリーには十分間に合いました。

会場に到着

いつもながら、すでに多くの方が来て、アップしていましたね。9時から開会式があり、聞くと今回も我々60才台と、70才台そして女性が、先頭スタートでした。どうも春大会からこの方式に変更されたようですね。それと、8キロ地点で昨秋同様、タイムオーバーがあるようなことを言うのです。春はこれがなくて、女性の最終ライダーの到着を全員で待って、拍手で迎えたのになぜでしょうね。いつも警察の方も来ているので、道路の封鎖の時間とかの関係のようなことを話していましたが、これも毎回ですが、説明のスピーカーの音が室内で反響するため、うまく聞き取れませんでした。私としては、このタイムオーバーの8キロをクリアーしてここを60分以内で通過という目標としました。

開会式
スタート地点

10時にスタートしましたが、春から我々高齢者からのスタートなので、後ろにいる100名程度の参加者のほとんどに抜かれる予想です。私もこの春は少し抵抗がありましたが、今は一行に構わないのですね。スタートしてすぐ、最初から結構な激坂が続きます。昨秋に走っているハズなのに、なんだか別のコースのように感じるのです。トンネルを抜けた4キロ手前からの細い道でたぶん15%以上の激坂があり、私は狭いのでフラフラで、私のすぐ後ろの女性が、しょっちゅう「後ろから来ま-す!」と声をかけてくれるのです。この女性(阪神タイガースのジャージの人)には、本当に感謝です。この坂で、結構な人に抜かましたね。ここが若い人の脚力との違いでしょうか。私としてはまたもや、昨秋にここを本当に走ったのかなあーーーですね。

今回はいつもにも増してコースマップと高低表を見てきたので、とにかく8キロまで頑張ったら、あとは大した坂はないということが分かっていました。この日も異常気象で気温も32度以上あり、ヘロヘロ状態で、かつ給水できそうなフラットなところがなくて困りました。私としては、「口から心臓がでるくらい」辛かったですね。「秋は止めよう」とも何度も思いました。そうこうするうちに、昨秋にタイムオーバーになった地点を通り過ぎましたので、心底ホッとしました。あとは、ゆっくりでもゴールできると確信しました。その後の4キロは予想通りで大した坂もなく、無事ゴールできました。

ゴールしてみると、大勢がいたので、私としては、これだけの人に抜かれたんだと思いましたね。その後、何故だか、主催の人の指示でまだゴールしていない人を待たずに、下山し始めていました。あとでわかったのですが、私の後の数名以外は、どうもタイムオーバーのようです。秋大会はタイムオーバーがあるのですね。やっぱり春とは違うことが分かりました。私と数名が最終に近かったのですが、困ったことがありました。給水の大きなタンクの水が、私の前の人で空っぽになってしまったのです。聞くとトイレの前に湧き水があるので・・とのことで、迷いましたが、少しやむなく飲みましたね。春の時は、冷たいトマトもあり、下山途中の100円カレーもありましたが、このインフレでなくなったのかもですね。

下山した後は、家族と合流し、私はいつも通り近くの日帰り温泉で汗を流しました。そういえば、この温泉の割引券もなくなりましたね。

昼ご飯の時に、リザルトがでていたので、確認すると私は1時間7分17秒で、86位で90名がゴールしており、私の後ろには4名いました。それ以外で17名のDNFは、どうもタイムオーバーのようですね。また、60才台では8位で、最下位でしたが、私としては、ぎりぎりながらリベンジできたと思っています。また、家に帰ってから、2023年の春と秋の大会のリザルトも掲載されており、これを見ると、私が何と2大会ともゴールしたので、36位でした。ちなみに最後は37位ですがね。でもこの中に入るのって、私にとっては結構大変なのです。

最後にいつも、驚きますが最高齢は78才で、1時間22分台でゴールしています。なお、昨年私と一緒で途中、タイムオーバーになった79才の方はどうしたのでしょうね。今年はお顔を見なかったような・・・。

60才台で8位、全体で86位! 赤は最高齢78才でのゴールです。
2023年春と秋大会の総合順位で、私は36位。

西粟倉ヒルクライム再挑戦(2023春)・・リベンジはできたのか?

また、来たあ--

昨年の2022年9月4日の西粟倉ヒルクライムで、8キロ地点でのタイムオーバーにより停止をさせられ、記録なしに終わった記事を書きましたが、この大会が終わった段階では、「二度と出ない」と思っていたのです。ところが、たまたま、2023年5月21日に、ネット(スポ-ツエントリ-)で、2023年6月4日開催の同じ大会の「春大会」を見つけ、それだけでは、まあどうでもよかったのですが、よく見ると、その案内にかなり前の私の写真が写っていたのですね。ちょっとびっくりしました。そこで、これも何かの縁かと思い、リベンジの気持ちが湧いてきて、迷った末、結局申込最終日にエントリーしてしまいました。

今回の大会に合わせて何か特別な練習とかは、時間的にも無理でしたし、週1回35キロのルーチンライド以外は、台風2号の接近で、雨が続いており為す術もなしでした。その後、大会前日にやっと晴れたので、近所の1キロほどの坂があるのですが、そこを7~8回登りましたね。

2023年6月4日の大会当日は、5時半起きで、6時半に車で出発しました。すべて高速道路利用で100キロ走り、現地に7時45分頃に着きました。昨年は6時出発でしたので、早く着きすぎたのですが、今年はちょうど良い時間になったものの、駐車場が遠くなるんですね。知りませんでした。

開会式の様子--あれっ何か違う!!

今回の大会では、開会式の説明を聞いていると、何か違うのです。それは、①昨年は年齢の若い順からのスタートでしたが、今回は年齢の高い順でスタート??、②どうも途中のタイムオーバーのことを聞かなかった??のです。あれっと言う感じですね。そういえば、去年の秋大会のタイムオーバーは、一番後ろからスタートした我々60才以上と女性とママチャリの高校生だけがリタイヤとなったのですが、我々よりも早くスタートした60才未満の人でも、チェックポイントまでの所要時間では、遅延者がいたかもしれませんね。きっと、あのあと何かクレームがあったのでしょう。

スタートライン(今回は年齢の高い順?になり、我々の後ろに約120名が並んでいます。)

私は今回はリベンジで完走が目標ですので、前回と違い一応、コースと勾配をじっくり見てきたのと、私のサイコンでは距離を表示させていますが、時間の表示はボタンを押す必要があったので、腕時計(軽いもの)をして、これにより時間を常に見ながら走ることにしたのです。

参加者は全員ゼッケンに、ABCDEFWの表示があるのですが、我々60才台は、「E」で、スタートは、「E」「F(70才台)」「W(女性)」が同時スタートで、最初だけ、この同年配集団で走るのですが、当然のことながら、若い人達が抜いて行きます。その数やすごいですが、ただただ彼らの脚力にびっくりするばかりですね。どうしたらあれだけ走れるのですかね。

スポーツはみんなそうだと思いますが、ヒルクライムは特に「何でこんな苦しいことを好き好んでしてんのか?」と途中で何度も心が折れそうになりますね。また、私はただ完走目標だけなんですが、どうも抜かれるとあまり良い気分になれないのはどうしてでしょうね。まして、「E]と「F」の人には・・・。私は途中で、すぐ前を行く「E(60才台)」の人の後ろをほぼ同じ速度でついていたのですが、ゴールの手前あたりで、もうすぐだと思い一旦抜いたんです。ところが、ゴールまで持続できず、また抜き返されてしまいました。流石にこの大会には、慣れておられるのでしょうね。

約1時間あまり、私は、ただただ我慢をしながらペダルを回し、獲得標高660メートル、標高1100メートルのゴールに辿り着きました。今回はリベンジでしたので、完走で達成感はありましたね。良かった。

今回、ゴール地点ですばらしいことがありました。我々が下山しようとした時に、最終で登ってくる人がいるので待ってほしいというのです。暫くして、一人の女性が、ゴールしてこちらに向かってきました。下山しようとする全員から大拍手でしたね。その女性は、ロードバイクですが、ビンディングペダルではなく、フラットペダル(普通の自転車と同じ)でした。すごいです。また、昨年の秋大会で、私と同じようにタイムオーバーでリタイヤした「F(70才代)」の方を見つけました。去年と同じウエアと顔ですぐにわかりましたので、声をおかけしようと思ったのですが、中高生のような年の方(お孫さん?)と喋りこんでおられたので、やめましたが・・。

下山の途中で、この大会の名物の先着60名、100円カレーを初めて食べてみました。すきっ腹に浸みますね。有難し。

車に戻り、いつも通り、近くの日帰り温泉で汗を流し、大会HPのリザルトを開いてみると、私は、60才台19名中、12位で、55分37秒でした。同じコースなのか不明ですが、この大会の以前の名前「ヒルクライム若杉」で走ったことがあるコースであれば、58分台であったような・・。

また、あの拍手を受けた最終ライダーの女性が、1時間30分であったことや、四国からの参加者であったことがわかりました。お疲れさんでした。

また、私と同じ昨年タイムオーバーだった「F(70才台)」の方は、何と、79才で最年長であることがわかりました。これまた、たまげましたね。私には絶対無理ですね。

2024/6/4の西粟倉ヒルクライムのリザルト

前回の記事はこちら・・・4年ぶりに西粟倉ヒルクライムに挑戦・・結果は?

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母の介護奮闘記-6

目次:

☆2023年4月12日(水)母からのメールで「ここは聞くカラオケや」と言う?

☆2023年4月12日(水)グループホームをすすめてくれた大阪の看護師Nさんから電話があった!

☆2023年4月22日(土)面会に行くと母は?

☆2023年4月12日(水)母からのメールで「ここは聞くカラオケや」と言う?

2023年4月12日の10時にA市の健康保険証や介護保険証ができたので持参しました。その場では、母への面会を事前予約していなかったのでやめましたが、ケアマネのHさんに母の様子を聞くと、「少し慣れてこられたようです。今までに来た方の中でも一番静かですね。ただ、まだ帰れると思っておられるようです」とのことでした。私からは、「そうですね。同調意識は高いですから」と言いました。また、母とのメールで「カラオケしたかと打ったら、聞くカラオケやったと返事がきましたね」と言い、その理由を聞くと、「あっ!そうそう、二階(母のいる)のマイクが故障してたんや」とのことでした。私からは、思わず「ここに連れてくるのに、カラオケもあるしいーーーと何回も言ったのでーー」と言いましたね。

☆2023年4月12日(水)グループホームをすすめてくれた大阪の看護師Nさんから電話があった!

2023年4月12日(水)に以前お世話になった大阪の訪問看護師Nさんから電話がありました。電話の目的は、母に訪問看護費で未払いのお金がまだあった(2431円?)のでどうしましょうかと言うことだったのですが、このことよりも、母が今入所しているグループホームのケアマネから電話があって薬の処方についての問い合わせと、今の様子の説明があったということを言ってくれました。個人情報保護の時代ですが、こんなことは大いにやってほしいと思いましたね。それと、私からは逆にこちらのグループホームの管理体制というか、「しっかり運営できているのか」ということを伺いました!!。

また、施設との付き合い方で一つアドバイスをいただきました。それは、私が、「面会は10分だけだし、あまり行く気になれない」と言うと、「受け入れ施設のほうは、家族が入所者(母)に対してどのような態度かを見てますよ。それによって母への対応が違ってきます。足繁く行くことですね」ということでした。いつもこのNさんは、ずばりと言ってくれます。

☆2023年4月22日(土)面会に行くと母は?

2023年4月22日(土)の14時に面会に行きました。今回は、大阪の家に行って、春夏用の服やその他で、母がほしいものを取り行くので、それを聞くためです。二階からヘルパーさんに手を引かれて連れられてきた母に、「誰かわかるか?」と言うと、流石にまだはっきりと「何言うてんの?」と言いましたので、私とわかり、ほっとしましたね。

表情は穏やかで、なぜかニコニコしています。また、付き添ってきた、ヘルパーさんに終始甘えているような感じなのです。ほしいものを聞いても、自分からあまり言わず、ヘルパーさんから「長袖のTシャツくらいですかね」という反応です。「養命酒はまだあるの?」「薬はちゃんと飲んでるんか?」「ビオフェルミンは?」と聞くと、「ビオフェルミンは持ってきてない。」というので、ヘルパーさんにも聞きましたが、わかりませんでした。どうも頓服で、母が必要だと言ったら飲ますようになっていたので、持参の薬手帳では、直近の処方箋にはなかったのかもしれません。後日確認です。今日は、「いつ帰るの?」とは聞かれませんでしたね。でも、どうなんでしょうね?これって認知症が進んだとも言えるのでしょうか?

また、カラオケについて聞くと、やっと状況がわかりました。ヘルパーさんが言うには、①2階と3階で1台しかなく、交互に使っていること、②そのマイクが昨日、修理が済んだとのことでした。マイクなら大阪の家にあるので、差し上げますよと言うと、そこまでは結構ですと言われました。

一通り聞くと、すでに15分を過ぎていて、ヘルパーさんから、「テーブルの上の面会記録を書いてくださいね。でも、15分にしてください。」と言われました。厳密に運営してるようです!。

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水戸-新宿ソロライドで酷道6号線を走る!・・・予定変更で232キロ

水戸城大手門

2023年4月13日(水)から久しぶりのロングソロライドに出ました。今回は、飛行機で茨城空港から国道6号線で仙台まで、279キロを走る計画で出発しました。実は、この計画は昨年9月に行く予定で飛行機も押さえたのですが、腰痛が出たため延期にしていたのです。たまたまSKYMARKの「たす得」でしたので、1年間の同経路での延期が可能につき、当時予約のできる一番遅い3月にしていたのですが、寒さのため4月以降が予約可能となった3月の中旬を期に、再度4月に変更したのです。

飛行機用の輪行バッグにバイクを詰めて神戸空港から茨城空港へ着き、早速自転車を組み立て、このバッグは仙台の予約したホテルに送り、初日の予定である水戸駅前の「水戸三の丸ホテル」まで30キロを走りました。その日はここで1泊し、さあ明日から「いわき」に向けて出発と思っていたのですが、その晩に、東京にいる私の娘からの連絡で5歳の孫が昨日夕刻に公園の出口で自転車とぶつかり、すね(脛骨)骨折でギプスとなったこと、本人は家にいてギプス以外何の処置もなく、痛みもない状態とのことで、トイレ等の介助などあり、急がないができれば来てほしいとのことでした。困った----。緊急事態ですので、私はここで仙台行きを断念し、とにかく東京(新宿から西約9キロ)へ向かうことにしたのです。水戸から娘の家まで、130キロあまり、電車で行くことも選択肢にあったのですが、明日中に着けばよいとのことでしたので、新宿めがけてロードバイクで走ることにしました。

翌日、朝7時過ぎにホテルをチェックアウトして、新宿を目指してスタートしました。当日は、強風、向い風で走りにくい上、国道6号線は、ほとんどが片側1車線で、路肩(白線の外側)も50センチ程度のところも多く、おまけにトラックやトレーラーの比率が高く、横を至近距離で追い越して行くので、何度も恐怖を感じながらのライドとなりました。また、利根川や荒川等の大きな河の渡河は風が強く、普段なら車道を走れるのに、流石に怖くて歩道を風に抗いながらの走行で、この道路はまさに「酷道6号線」でした。

その後、この「酷道6号」から、環状7号に入る交差点がわからず直進したため、東京スカイツリー辺りの浅草橋まできてしまいました。ナビはバッテリーのこともあり使わなかったのですが、そこで初めてグーグルナビを使うことにしました。これが正解でした。というのは、郊外より都内の方が路面にブルーの表示のある自転車道が多く、また、このナビでは「車」ではなく「自転車」の選択で親切な表示と案内がありスイスイと走れるのです。ちなみに茨城空港や水戸では「自転車」の選択はできませんでした。都内に入ってまず気づいたのですが、急に外国人の数が多くなり、ロードバイクの外国人も結構いるのはびっくりでしたね。その後、夕方3時半ごろにやっと新宿駅に着き、孫の家には、4時前に着くことができ、そこでケガにも拘わらず、足以外は元気でケロッとした孫の顔を見てほっとしましたね。グーグルナビに感謝です。

スカイツリーまで来てしまった!

2023年4月14日(金)の16時から、4月20日(木)の18時半までは、孫の相手と娘の家事のヘルパー!をしましたね。でも、私はあいにくこれが苦手なのです。(この辺りの詳細はカットします)という訳で、孫の様子もわかったので、6泊し20日に帰ることにし、帰りは、大阪まで輪行のできる夜行バス(ブルーライナー)があることをネットで見つけ、輪行袋があったので、このバスを利用することにしました。なお、三宮までのバスはあるのですが、輪行は大阪梅田行きしかないようです。この路線のバス利用は学生時代の東京ー大阪のドリーム号以来ですね。

ところでバスタ新宿の待合室、バス乗り場、それにバス内は、アルコールの飲酒禁止なんですね。それを知らずに待合室のコンビニでビールを買ったのですが、店員さんから言われ、やむを得ずもう一度、重い輪行袋を持って二階までエレベーターで降り、新宿駅前の広場まで行き、缶ビールの一気飲みをしましたよ。

2023年4月21日(金)の朝6時20分に、バスは大阪梅田のプラザモータープールに着きました。ここはトイレも休憩所もなく、ただ駐車場だけなのでびっくりしました。今回、あまり眠れなかったのですが、このまま電車に乗ってもラッシュアワーなので、ここで元気を出してバイクを組み立ててみたのですが、この時チェーンがペダルの間に挟まってしまって抜けないのです。前にも沖縄のやんばるの山中であったのと同じようです。無理をするとチェーンが曲がったり、切れたりするので、慎重に30分ほど格闘してやっととることができました。要は、大きい方のギアを少し押して、ペダルとのわずかな隙間を広げるのがコツのようですね。

何とかバイクも組み立てることができ、7時過ぎから早朝の大阪を抜け、淀川を渡り国道2号線をひた走り、3時間あまりで明石に着くことができました。この日の走行は59.43キロ。

今回の予定変更のライドは、総計231.56キロ、平均時速20.8キロでした。

こんな記事を書いていますが、孫が今のところ何とか回復途上だから、ライドができ、書けるのです。とにかく、孫が早く無事に完治するのを待つばかり。お願い。

明石に着いた!

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