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2年ぶりロードバイクでアワイチ150キロに挑戦(ソロ)

デルタ株による緊急事態宣言が解除されない中、遠隔地へのロングライドが自粛を余儀なくされ、ソロでいける県内ならということで、2年ぶりにアワイチ(淡路島1周)に挑戦することにしました。
アワイチは私にとっては7回目(記録をしたもののみで、それ以前にも1~2回あるかも)です。

台風一過の2021年9月19日(日)、天候は晴れ、予想気温30℃、でも少し風が気になったのですが、7時30分明石港発のジェノバライン(高速船)に間に合うよう自宅を6時50分に出発し、15分足らずで到着しました。
この日は3連休の真ん中の日のためか、既にサイクリストが20名以上も船を待っていたのでびっくりです。時節柄でしょうかソロの人とカップル(夫婦?)が多く、2人以上のグループが半分弱程度でした。

岩屋港を7時51分にスタート。たまたま同じようなスピードのソロライダーがいましたので引っ張ってもらい順調に洲本に到着しました。

さあ、これからが最初の激坂です。アワイチで、この坂に来るといつも思い出すのは私が初めて、アワイチに挑戦したときは、足が攣ってしまって坂の途中で足の回復を待ち、結構な時間、休んだことです。最初は不安でしたね。あれから多分もう10年近くかあ・・。

最初の激坂も難なくクリアし、灘黒岩水仙郷あたりで一休みです。これから土生(ハブ)港を越えて第2の激坂が続きます。これらも何とかクリアです。

予定通り11時20分頃に福良に到着し、コンビニでしっかり休憩しました。

12時前に、福良を出発。さあ、これからまた第3の激坂区間です。但し、この坂を越えると、比較的アップダウンも少なくなるので、ここさえ越えればほぼ完走が見えてきます。これも、何とかクリアしました。その後、県道25号を順調に走り、あとは、サンセット通りを岩屋に向けて、北東に走るばかりです。

途中は、疲れからか、あまり景色をじっくりみる余裕もなかったのですが、岩屋まであと20~30キロの室津あたりの新しいレストラン付近は、車が大渋滞で、多くの人が店に入るのに大行列をしているのを見ました。デルタ株が少し収まった中の3連休とは言え、あの「密」はびっくりでした。

やっと、海の向こうに私の住む明石が見渡せるところに来ました。ゴールはもうすぐーーー。そして15時35分、スタート地点の岩屋港に無事にゴールしました!!。

家に帰り、今までのアワイチの記録を眺めると、気づいたことがありました。平均速度が、今回が最低!!!!。はやり体力が落ちてきましたね・・。
ちなみに今回の記録は以下の通りです。

距離:145.84キロ、平均22.6キロ/H、時間:6時間27分25秒、MX:56キロ。

詳細は、サイクリスト用のHPへ

2年ぶりでアワイチ150キロに挑戦(ソロ)

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ロードバイクで沖縄一周ソロライド420キロ挑戦(やんばるの森はタフなコースだった!)

ロードバイクで四国一周1000キロソロライドの後、次はどこに挑戦しようかと検討の末、沖縄一周ソロライドを念頭にリサーチをしました。コロナ下、日程については3月のコロナの緊急事態が解除されたことを受け、2021年4月9日からを想定(420キロを4日で走破)し、2週間前にフライトを押さえたのですが・・・。

4月に入り、コロナの変異種感染が徐々に増してきた中、沖縄へのフライトをキャンセルするか決めかねていました。私の住む兵庫県は、4月5日にまん延防止策として飲食店への閉店時間規制と補償を中心としたものでしたが、県外への移動はまだ「自粛」の項目に入っていませんでしたのでキャンセルはせず、とにかく行ってみて、臨機に帰ることを考え、2021年4月8日(木)に那覇へ飛びました。

私にとって沖縄は旅行では2回来ていますが、7年ぶりです。今回は4月9日(金)から、沖縄本島の外周420キロを4日間で走る計画で、予想では平坦なコースで余裕で完走できるのではと思っていました。

1日目の4月9日(金)は普天間、嘉手納基地前から美ら海水族館前、古宇利島と順調に走ったのですが、2日目に、沖縄本島最北端の辺戸岬の手前から、徐々に強風が吹き始め、また、アップダウンを繰り返すタフなコースとなり、辺戸岬を越えて南下し、約25キロ進んだ宿泊先の「アダガーデンホテル沖縄」には、何とか辿り着いたという状況でした。この辺り「やんばる」の森は、すれ違う車も少なく、こんなところで、パンクでもしたらどうしようと心配していた中、突然チェーンが外れる(以前、同じような現象で自力では元に戻せないことがありました)という「恐怖!」もありました。なお「やんばる」の道路脇には、よく「ロードキル注意」の表示があります。これは、ヤンバルクイナが車にひかれる事故があるということらしいのですが、多分、車の数は少ないので、スピードが速いのでしょうね。

その後、3日目の4月11日(日)のコースでは、宿泊した「アダガーデンホテル沖縄」から「やんばる」を南下した「キャンプ・シュワブ」までの約60キロが、依然アップダウンの激しいコースでした。その日は、当日の目的地である伊計島の最先端まで、今回の日程の中で最長の140キロを走りました。

最終日4日目の4月12日(月)は、那覇までの90キロで、海岸沿いに知念岬、平和祈念公園、ひめゆりの塔を越え那覇へ向かうコースでしたが、ほとんど平坦で、晴天で強風もなく、途中、広大な平和祈念公園でゆっくり昼食と休憩をし、順調に走り続け、無事に完走することができました。

今回のソロライドでは、途中3泊しましたが、さすがにどこもコロナ下で宿泊者も少ない状況でした。また、行き交うサイクリストも4日間を通じ20数名の方を見かけただけで、その内、外国の方(米軍関係者?)のサイクリストが約半数でした。いつも感じるのですが、日本のライダーはお互い会釈ですが、外国のライダーは手を挙げるんですね。また、ビーチでは、人との接触を避けるためか、小さなビーチに1家族だけいる光景をよく見かけました。

コロナの状況に関しては、途中の4月9日(金)の夜にホテルでテレビをみると、なんと沖縄県が東京、京都とともに「まん延防止策」を12日から実施し、これらの都府県は「県外への移動自粛」が入っていましたので、どうしようかと悩みました。結局11日に帰るのは無理ですが、とにかく早く帰ることを考え(順調にいけば13日に)、那覇に着いてすぐにフライト変更(幸いにもノーチャージで)をし、翌日慌ただしく神戸に戻りました。

今回は元々、一周420キロの想定でしたが、私のサイコン(サイクルコンピュータ)の数字は、多少迂回や初日に一旦先に行き、戻ったこともあり、450キロを指しています。振り返ると、「やんばる」の森はタフなコースでした。

詳細は、サイクリスト用ホームページに記載しています。

http://royroy.wp.xdomain.jp/category/roadbike-roy/roadbike-okinawa-roadbike-roy/

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こんな激坂コースがあったんだ!(十三峠)

十三峠からみた大阪

2021年2月20日(土)に、大阪の実家から大和川の大正橋を渡り、八尾を通り、東大阪から信貴山方面へのロードバイクの激坂ヒルクライムコースがあることをネットで見つけ、行ってみることにしました。外環状で八尾から東大阪へ入ったあたりで、山側へ抜け、「大阪経済法科大学」の横を通り、十三峠への激坂があり、さらに信貴山フラワーロードに入り、柏原の妙法寺メモリアルパークへ抜けるコースです。初めての挑戦でしたが、こんな激坂コースがあったんだとびっくりしました。今までは、実家から南の二上山方面「竹ノ内峠」へはよく行っていたのですが、こちらのコースの方がきついですね。

何とか十三峠まで登りきったのですが、その後の道がわからず、道路の分岐点では、スマホでグーグルマップを見たものの、さすがにたまらず、たまたま通りがかりの私と同じようなシニアライダーがいたので声をかけてみました。この方は、大阪の長居から来たとのことで、これもたまたま私の実家へのコースと同じでしたので、後ろを走らせてもらうことにしました。親切なライダーに感謝です。その日は天気もよく、また、まだ13時頃でしたが、あんな山の中で道に迷って暗くなっていたらと思うとゾッとします。本当に助かりました。また、偶然にも、私の予定していたコースと全く同じコースとなり、その上、大和川沿いの私の実家の近くまで同じでしたので、幸運が重なりました。

別れ際にお名前を聞こうかとも思ったのですが、そこは一期一会、またこのコースで会えることもあろうかと丁寧にお礼と「ご安全に」の言葉だけで別れました。長居のキャノンデールのサイクリストさん有難うございました。(毎土曜日にこのコースで50キロ走るという健脚の持ち主ですので、今日は私のためにいつもより遅くなってしまったことでしょうね。ごめんなさい。)

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TOEICの記録更新!(リスニング7700問とリーディング5500問で)

リタイアした61才以降、毎年12月にTOEICを受けるようにしています。現役時代は、仕事で英語を聞かなければならない会議があり、そのような場では、仕事上の専門用語なら英語でもほぼわかりましたし、重要なのはむしろ数字の持つ意味でしたので何とか仕事はこなせましたが、やはりもう少し上達したいという気持ちは常にありました。特に会話は全くだめでしたので、「駅前」の英会話学校にも行った時期がありましたが、しみついた日本語脳から脱却できずでした。また、TOEICを受験したいとは思いながら、現役当時は、時間的にも精神的にもその余裕はありませんでした。

実は、私はTOEICが始まりだした時代(30年以上前か)に、会社が始めたIPプログラム( Institutional Program:会社内で社員が受験するTOEIC)で会社の試験官(社内受験生に対し、試験案内とリスニングのカセットテープ(当時)を押すこととタイムキーパーが主な仕事)をしたのがきっかけで、当時の上司が、カセットテープを押すだけなら、試験官自身(私)も受験したら!?ということで、受験させてもらったことがありました。当時、2回ほど受験し(もちろん他の社員の試験運営をしながら、カセットテープのボタンを押して、公明正大にです。)、最高でも560点であったと思います。

会社をリタイアし、時間ができた最初の試験は、12月の試験日前にほぼ1か月間、模試本を買い勉強したため、何とか600点台は何とか取れました。しかし、その後、毎年受験しましたが、直前1か月間のみ勉強するというスタイルでしたので、点数も一進一退で、どうしても700点を超えることができませんでした。

そんな中、このコロナ下で、 TOEICの試験が午前と午後の二回になり、また、試験が抽選になったため、2020年12月の受験申込には抽選にはずれ、翌2021年1月の受験に何とか受験ができるようになりました。その結果、今回は2カ月間、みっちり模試本(以下の写真の3冊:リスニング7回分で700問、リーディング7回分で700問)で勉強して、試験に臨むことができました。リスニング77回(7700問)、リーディング55回(5500問)しました。

結果は、・・・・・745点・・・・・。3年ぶりの記録更新です。これで、当初の目標である730点をクリアしました。コロナ下が幸いしました。為せば成るものですね。

届いた結果通知です。

今回の勉強方法は、繰り返し同じ模試を解くこと、いわば1000本ノック方式で、これはこれで良かったのですが、より上を目指す場合には、新しい英文に接する機会を増やすこと、柔軟性(うまい言葉が見当たりませんが)を養うことが必要と思いました。また、TOEICのリスニングで感じたのは、模試本によって発音が違うということです。受験本番で最初からうまく聞き取れず(というか耳が慣れない)、何回かショックを味わいました。英国人の女性でキーの高い人の発音(例えば、「that」の発音が何度聞いても聞こえないとか)とオーストラリア人の男性の低音の発音(例えば、「over」の発音が判別できないとか)は、模試本によってかなり違うと思います。こんなことを和らげ、慣れる意味では、「公式ETS」の模試本を買ったのが良かったと思います。

今は、コロナでダメですが、これで、年一回の海外弾丸ツアーの仲間(60才・70才代の旅行仲間)のアテンドを積極的にやれそうです。でも、最近はスマホと現地SIMと、Googleの翻訳さえあれば、ほとんどの言語での旅行会話程度は大丈夫なのです・・・・・・。

後日、英語に堪能な知人に連絡したら、祝メールの中で、以下のようなことが書いてありました。私と全くレベルが違う話なのですが、英語上達にはいくつかの大きなハードルがあるのでしょうね。

「すごい!すごい!おめでとうございます! ・・略・・ そういえば、ぼくもアメリカで2年制の短大から4年制大学に編入するときTOEFLを受けたんですが、3回連続で同じ点数(確か半年ぐらいの期間)で、必要な点数にあと10点足りないことがあって、先生にMr.Consistantと揶揄されたことを思いだしました。そして、次のテストで必要な点数を取れなかったら一時帰国かもというときに、必要な点数を大幅にクリアしたんです。」

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ホームページ外観の変更→「twenty-thirteen」に

このホームページの今までの外観の「twenty-twelve」をスマホで見ると、文字が小さくて見づらいのです。そこで、いくつかの外観テーマを試したのですが、シンプルかつ、スマホの文字が大きい「twenty-thirteen]に変更することにしました。言い換えると、ホームページの服を着替えるようなものですが、どんな影響が出でるのかわかりませんので、ある程度の決心が必要でした。「エイッ」とばかりに外観テーマの変更をクリック&更新してスマホで見ると、えらく良くなりました。ただ、唯一問題が出たのは、末尾の「copyrights」が引き継がれないことでした。これも、また、以前に書いたように一大決心で「エイッ」とばかりにソースを変更しました。成功、成功。