母の介護奮闘記-5

目次:グループホーム編・・・・母の介護奮闘記-5

☆2023年4月5日 グループホームC八木に面会に行くと・・母が「いつ帰るの?」

☆2023年4月6日 叔母からの電話・・母に「ボディスーツ送るから」って?

(振り返ってみると)

母を明石に連れてきて、これから暫く?は、大阪まで車で行く必要がなくなりました。私が介護のことがあり、2018年から、一体どれくらい往復したのか?また、多くなったのはなぜなのかが気になり、手帳を引っ張りだしてきました。結果は、178回で、多くなった原因は、やはり転倒による通院とコロナワクチン等がきっかけのようでした。ちなみに、Ⅰ往復160キロですので、28,480キロ、ガソリン代は約31万円也(@110円/Lとして)でした。これに高速代(往復3700円)が本来がかかるのですが、高速を使ったのは、年に2~3回程度でしたね。

2018年・・・12回(私が常勤をやめた2016年4月以降は、月1回程度)

2019年・・・25回(2019年3月27日に、母は転倒右手脱臼で通院)

2020年・・・21回(2020年11月2日に、母は転倒で顎骨折で通院)

2021年・・・28回(6月コロナ1回目コロナワクチン接種)

2022年・・・25回(デイサービス、訪問看護、ヘルパーで週7日開始。11月20日に5回目コロナワクチン接種)

2023年・・・9回(4月3日の入所まで) 

計  ・・・178回

☆2023年4月5日 グループホームC八木に面会に行くと・・母が「いつ帰るの?」

2023年4月5日に、母を連れてくる4月2日に実家にあって洗濯をしていない普段着があったので、それを私の家で洗って持っていく必要がありました。予め電話でケアマネのHさんに、「いつがいいですかね」と聞くと、15時過ぎとのことでした。その時間に行くと、今、会う方がいいのか、会わない方がいいのかも含めてHさんに任せると、「会っていただいてもいいですよ」との返事でしたので、母を1階の入口近くの3脚ほど椅子のある場所に連れてきてくれました。10分とのことだったので、検温の上、母と会い、話をしましたが、ケアマネさんが立ち会いですので、母の口が堅いのかあまり喋らず、私に「いつ帰るの?」と聞くのです。そこでHさんは、「息子さんも忙しいのでね」と言い、私はと言えば、言葉が見つからず困り果て、「夜は持ってきた電機毛布を使っているんか?」「電気ザブトンは?」と聞くと、Hさんが「暖かいので使っていませんね」とのことでした。私が「何かいるものはないか?」と聞いても、母からは「ない」と言うだけでした。母から「いつ帰るの?」ということをこの場で聞くのは、私の側からは、寂しいというか、何ともいえない複雑な気持ちになりますね。介護をしている人はみんな経験するのでしょうが・・・・。

☆2023年4月6日 叔母からの電話・・母に「ボディスーツ送るから」って?

母には10才以上離れた弟(叔父)と妹(叔母)がいます。叔母の方は関東に住んでおり、コロナ以降は来ることもなく、もう3年以上会っていないのですが、母によく電話はするのです。今回のことも、私は入所翌日の4月4日に電話で伝えたのですが、どうも入所に対して疑問(まだ在宅でいける)のような言い方でした。母との電話の会話では母が普通のように聞こえるのでしょうね。もうほとんど家の中しか歩けないことや、トイレを汚して自分ではわからず掃除が大変なことがあること、家の風呂にはここ1年近く入れないこと、給湯器と風呂の元栓の3つのスイッチがわからずに皿を洗うお湯を出すのに、風呂の「自動ボタン」を押したり、ガスファンヒーターの前に大量の洗濯物を置いて乾かし、何度言っても聞かず、いつ火事になるかわからないとか・・・電話で話をするのと介護の現場は全く異なる!のです。

その叔母が私に4月6日の20時頃に電話をかけてきて、「さっき、ねえちゃんに電話したら、明るかったで!」ということで少しびっくりしたことと、母との話で「ボディスーツの新しいのを、あんたの家に送るから今度、持って行ってあげて」とのことでした。ボディスーツに関しては、私は男なのでわかりませんが、いつも内科の通院の時に、60代の女医にびっくりされたり、レントゲンやMRI、胸の聴診器の時に股間のホックを外したりと、「これってどうなの」と思っていたのです。大阪で担当のケアマネに相談すると、「パッドのついた下着を買ってあげてくださいね」と言うので、女房に買ってもらって持っていたのですが、母は「胸のパッドをはずす(糸をとる)」と言って、それもせず結局1枚も使わない状態でした。叔母にそのことを言っても、「人それぞれ」で聞く耳を持たずでした。グループホームに限らず、特養や老健がどんな場所か想像ができないのでしょうね。叔母は、母と同じで今まで一度も介護の経験がありません。体重36キロの母に、あんなきっちりした「矯正下着」がいるのですかね。グループホームにいる人は、パジャマか、動きやすいスポーツウエアみたいなものがほとんどですよね。どうもこの叔母と話していると温度差がありすぎて「いらっ!」としますね。

この叔母も母もそうですが、二人とも、たまたま同居の父母もおらず、昔でいう跡取りの嫁でもなかったので、認知症の親の直接の世話(しもの世話等を含め)をしたり、介護施設を自分の足で探したり、お金のことを考えたりしたことがないのです。私も記憶にありますが、30年近く前に、特養(当時は老人ホーム?)にいた祖母をガラス越しで会いに行く程度だったんですね。その点、もう亡くなった兄みたいなTさんと奥様(前述)、叔父(母の弟)の奥様は、よく経験されていて話がスムースなのです。

私がそうですが、介護経験のない親を持つ子供は、介護で苦労するのかも知れませんね。介護経験があれば、認知症の対応や、介護施設のことを含め、その大変さはわかりますよね。私は自分自身のことを考えると、母のことが一段落したら、娘に「自分の今後の介護のことを書いたもの」を渡そうと思っています。

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母の介護奮闘記-4

目次:80キロ離れたひとり暮らしの母の介護奮闘記-4

☆2023年3月23日 介護でお世話になった兄のようなTさんの死

☆2023年3月27日 グループホームC八木の契約日・・山のような書類!

☆2023年4月2日 グループホームC八木への入所前日・・母に通告!すると?

☆2023年4月3日 グループホームC八木への入所当日・・車に乗ってくれるのか?

☆2023年4月4日 市役所支所で転入届の手続き・・91才でも来てくれという?

☆2023年3月23日 介護でお世話になった兄のようなTさんの死

2023年3月23日の昼に電話があり、母の介護で、母が転倒して病院に緊急で行った時にたまたま来ていた息子さんと駆けつけてきてくれたり、翌日に母のベッドを一緒になって2階から1階に降ろしてくれたり、前述の停電事件では深夜23時に駆けつけてくれたり、しょっちゅう様子見に来てくれたりと何かとお世話になり、また、母の今後のことや介護施設のことで経験や知見のあるTさんが、ここ1年ほど前から胃がんで闘病されていましたが、深夜0時30分に亡くなったとの電話が奥様からきました。私は、小さい頃からもう60年近い付き合いで、まるで兄のように慕い、文字通り今まで「兄ちゃん」と呼んでいたTさんでした。昨年秋には、抗がん剤「オプチーボ」が効き、ゴルフ(18ホールを回れて喜んでいたのに・・)の復帰まで果たしたものの、今年の初めからこれが効かず、この3月になってからは苦しい在宅での闘病生活でした。私は母の介護で帰省の折には、必ずTさんの顔を見に行っていました。もう、母のことで、車ですぐに駆けつけてくれる人はいなくなりました。介護のことで何でも話しができるのは、奥様ひとりになりました。困った。逆に言えば、母を明石に連れていく以外に方法は残されていないのですね。なお、Tさんはがんと闘いながら、亡くなる直前まで、自分自身の告別式の手配までしていたとあとで聞かされました。このTさんの通夜と告別式のために、私は今月4回目の帰省をしましたが、Tさんのことは、もちろん母もよく知っていますので、亡くなったことを言うべきかどうか悩みました。今の母の状況を考えるとどうしても、言えません。その後に奥様とも相談したのですが、暫くはこのままで行こうかと考えています。

☆2023年3月27日 グループホームC八木との契約・・山のような書類!

2023年3月27日10時に私ひとりでC八木に行き、まるで保険のような「重要事項説明書」の説明を順次聞き、10種類近い書類に記名押印をしました。もちろん母はいないので、私が母の名前を書くことになります。費用の自動引き落としの書類もです。多分、正式には「後見人制度」になるのでしょうが、認知症の場合は、仕方がないですよね。銀行側は、銀行届出印だけのチェックなのでしょう。また、すべての書類の住所を大阪か明石のどちらにするかという話になり、転出日が4月2日で、契約日の3月27日はまだ大阪ですが、契約書はすべて明石の私の住所にするとのことでした。その後、C八木と提携している近くのクリニックに行き、準備した「診療情報提供書」を渡すと、C八木と同様、クリニックからの4種類の契約書類等に記名押印をしました。またこの折にこのクリニックの担当の看護師さんに、C八木の評判等を聞きましたが、提携なのでこれは口が堅いでしたね。これらと併せて、最後に提携の薬局との契約書を渡され、自動引き落としの契約書含め5種類の契約書等に記名押印をし、これは郵送となりました。2時間ほどでやっと契約が終わりました。ここで、びっくりしたのですが、大阪の眼科の「診療情報提供書」がここでは渡さず残っていたので、聞くと、「それは、ご自身で眼科に出してください」と言うのです??。契約書もそうですが、すべて「一括」でできないのでしょうかね。さあ、あと残された難題は、いかにして母をここに連れてくるかですね。これも、今日会ったC八木と病院の人すべてに聞きましたが、妙案はなかったです。

☆2023年4月2日 グループホームC八木への入所前日・・母に通告!すると?

2023年4月2日(日)の午後に車を運転して大阪の実家に向かいました。この日は2号線、43号線とも比較的すいていて、約3時間で着きました。着いてから一休みして、母に「大事な話があるねん」と言って、「明石で10軒ほど施設を見学して、普通はめったに空けへんけど、やっと一つ空いてん。明日の朝9時に出発するから、準備して」と言いました。実はこの日までに、何度か「明石で良い施設を探している」という話はしていたのですが、いつも「そんなんいらん。ここで暮らす。」の一点張りで、押し問答の末、一度ですが、怒りながら「もうーーまかす」と言ったこともあるのです。でももう忘れてしまっています。また、いちからの話になります。この日は17時頃から30分ほど話をしましたが、「ここで最後まで暮らす。もうほおっておいてくれたらええんや。勝手に死んでるから」と言い、「そんなわけにいかんやろ。俺を犯罪者にするつもりか?」というと、「そんなん、私死んでるから知らん」というような押し問答です。かつて、初めてデイサービスに行く時も、「そんなところ行けへん。市のカラオケ(サークル)に行く(そんな距離は歩けないのに)」と言い、ヘルパーさんに来てもらう時も、「ヘルパーを家に入れてお金をとられたて聞いたからいや」でした。すべては「NO」から始まるのです。この日は、さすがにもう話すのをやめ、私としては、明日の朝にパジャマのままでも、強引に車に乗せて行こうと考えました。それと、その日にしなければならない仕事がたくさんありました。2階の少し小さいテレビを梱包して車に積まなくてはなりませんし、明石で準備できなかった普段着や下着をまとめて全部に名前を書かなければなりません。また、今着ている洗濯ものは、明石に持ち帰って洗濯した上で後日持って行くことも必要です。おまけに今後はこの家も空き家になるので、生ごみも持ち帰って処分しなければなりません。電気は冷蔵庫以外はすべてコンセントを抜く必要がありますし。その日は、おいしい肉でも買ってきて食べようかと考えていたのですが、結局、スーパーに行く時間もなく、冷凍庫にあったハンバーグを無言で二人で食べましたね。

☆2023年4月3日 グループホームC八木への入所当日・・車に乗ってくれるのか?

2023年4月3日(月)朝7時15分に起きて、私が無言で朝食の準備をしながら母の様子をみていると、少し諦めたかのような感じがしてきました。「準備しいや」というと、相変わらず「行けへん」とはいうものの少し軟化してきたようです。私が「行ってみて、いややったらまた帰ってきたらええねん」と言い、私が準備し始めると、デイサービスに行く服を着てくれたので、見ないフリをして私は荷物を車に積み込んだりして忙しくしていました。「さあ行くで」と言うと流石に諦めたのか、何と!素直に車に乗ってくれました。良かった。ほっと一息です。この日の移動は、めったに使わない阪神高速神戸線でしたが、芦屋で事故渋滞に会い、結局2時間近くかかってしまいました。母はおとなしく外の満開の桜を眺めていましたね。

11時過ぎにグループホームC八木に着くと、どうなっているのかと心配していた由でケアマネのHさんが迎えてくれました。早速、Hさんが母を迎えてくれ、任せてくれという合図のようなしぐさだったので、母は任せ、私は車から荷物を部屋に運び込みました。部屋でテレビをセットしていると壁からつなぐ同軸ケーブルを忘れたことがわかりました。また新しいのをそろえて再度来ることになり、母の様子を見ていると、他の入所者の真ん中で、「借りてきた猫」状態でちょこんと座っていましたね。他人の前では恰好を気にする性格なので、気が張っているのでしょう。

その日は、16時頃に女房と一緒に、テレビの同軸ケーブルと、一人用のドリップコーヒー(もともと母は毎朝ひとりでもコーヒーをドリップして飲んでいましたので聞いてみると、一人用ならサーブしてくれる由でした)、ティッシュペーパー(施設で買ってくれるらしいのですが)等を持って行きました。また、テレビは大阪から兵庫県へのチューニングが必要でしたので、部屋に入って調整している時に、横にいる女房を指して母に「これ誰?」というと誰か判らず、女房が「E子とN子の母やで」と言っても判らず、別の親戚の「Tちゃんか?」「Sちゃんか?」という始末です。まあ、ともあれ無事に入所が終わり、ほっとしましたね。

入所しました!

☆2023年4月4日 市役所支所で転入届の手続き・・91才でも来てくれという?

2023年4月4日に市役所支所に行き、転入届の手続きに行きました。予めネットで調べていて本人の委任状がいると書いてあったので、実はプリントアウトして用意して大阪の実家に持って行っていたのですが、一昨日や昨日の状況で母に書いてもらうわけにもいかずでしたが、そこは何とか!?しましたね。住民票の係に行き、これを出すと、すんなりまた別の書類に記入し完了したのですが、マイナンバーカードに運転免許証のような住所変更の記載が必要らしくて、40分程度時間がかかることと、本人出頭が必要?と言い出すのでした。「母はここまで歩けない」というと困った顔をしていましたね。その後にその人は「調べます」と言い、その場は終わり、次に健康保険の窓口に行くと、介護等級認定書がいるとのことで、昼前でもあり、マイナンバーの時間待ちもあり、一旦家に帰ることになりました。午後になり、大阪でもらった介護等級認定書を持って、再度健康保険の窓口に行きましたが、その時、窓口の方が「健康保険にマイナンバーを記載されますか?」と言うので、「今、マイナンバーはここで預けたままです」と言うと、また「記載されますか?」と聞くのです。そこで「記載したらどうなるのですか?」と聞くと、「病院でマイナンバーが使えるところで使えますが、まだまだ使えない病院が多いですから、どうしますか?」言うのです。私は、「大阪の病院ではマイナンバーのリーダーがあったので申し込みます」と言うと、この担当者は、ここで私がマイナンバーカードができてくるまでの時間を待つのががいやそうでしたね。その後、暫くまた待っているとマンナンバーカードができてきた(新住所記載の)ので、私がマイナンバーカード記載の番号を高齢者保険(か介護保険?)の用紙に記載しました。

一方、91才でも来てくれというマイナンバーカードの担当者は、私にカードを渡しながら、「今度の2026年の更新の時に、代理で発行できる案内が書いてあるので、それを見てやってください」と言いました。この人達は、マイナンバーカードを普及させたくないようですね??。

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母の介護奮闘記-3

目次:80キロ離れたひとり暮らしの母の介護奮闘記-3

☆2023年2月20日:グループホームC江井島の申込をした!

☆2023年2月27日:グループホームA大久保茜を見学した!

☆2023年2月28日:グループホームのC八木に空きが出た!

☆2023年3月6日:グループホームC八木の面接結果は??

☆2023年3月7日:グループホームUH大久保を見学で思わぬことが判った!

☆2023年3月13日:診療情報提供書の準備で再三の帰阪!

☆2023年3月14日:住民票はいつ移すのか?

☆2023年3月17日:C八木に入所時の準備すべきものを聞くと?

その後

いよいよ介護施設への入所を進めなければなりませんが、ここで初めて判ったことがいくつかありました。特養は何十人待ちということはわかっていたのですが、グループホームも、いつ空きがでるかわかりませんし、内部の「審査会」なるもので、審査があり、これがどうもその施設にとって都合のいい、すなわち「手がかからず、リスクがなく、儲かる」入所者を選ぶということの」ように思える(率直な感想です)のです。確かに慈善事業ではなく、経済原理が働くのはわかるのですが・・。

☆2023年2月20日 グループホームC江井島の申込をした!

2023年2月20日に、以前、見学をさせてもらったC江井島の入所申込をしました。提出に際して、担当のケアマネに予め書類を作成してもらったのですが、この中に今まで知らなかった担当医師の認知症のレベルの記載がありました。「日常生活の自立度」がA2、「認知証状態」がⅢAと記載されていました。ネットで調べてみたのですが、一人で生活ができるレベルの境界線上のようです。それ以外にも、「難治性逆流性食道炎」「気管支喘息・咳喘息」の記載もありびっくりです。これでは、受け入れる施設は逡巡しますね。困った・・。一瞬、どこにも入れてくれないのではという、不安がでてきました。

☆2023年2月27日:グループホームA大久保茜を見学した!

グループホームに入所するのは、どうも1、2か所程度の申込では全く、いつになるのかと不安になりましたので、2023年2月27日に、私の家からは少し遠いのですが、新たなグループホーム「A大久保茜」の見学に行きました。ここは大手教育や出版をしている上場会社の資本でやっており、食事にこだわりがあるとのことでした。たまたま夕食をみることができたのですが、おいしそうなのです。看取りもやっている由ですが、いままでに1名のみであったことを言われていました。ここも定員が18名で空きがいつになるのか、年単位のような言い方です。おまけに、母の状況を説明し、前記のケアマネの作成した資料をみせたのですが、どうも声のトーンが変わったようでした。基本的には、誰を入所させるかは、施設側の裁量権があるのを痛感させられましたね。

☆2023年2月28日:グループホームのC八木に空きが出た!

グループホームのC江井島に入所申込をしたのですが、この系列の「C八木が1室が空いたので、どうですか?」という電話がありました。入所まで、月単位か、年単位で考えていたので、「えっ!」という感じですね。電話では、すでに提出した申込書類で大阪のケアマネから情報を入手したとのことでした。ここ「C八木」はまだ、見学さえしていなかったので、早速アポを取り見学させてもらいました。ここは、私の家からも近い方だったのですが、3階建てのハイツ形式で、2階と3階がそれぞれ1ユニット(9名☓2ユニット)になっている由で、今回は2階で1名の方が亡くなった?! ので、1室空いたとのことでした。その部屋を見せてもらいましたが、「C江井島」と違い、古く(築13年)、少し狭いのと、機械式風呂がなく、浴槽に入れない場合は、シャワーだけになるとのことでした。私としては、これから何か月、何年待ちかわからないので、とにかく面接(面談?)の手続きに進めてもらうことにしました。次は、本来は大阪からここ明石に連れてきての面接?になるのですが、事情を考慮され、リモート(LINE)による面接にしてくれるそうです。3月6日(月)14時からの面接となり、私は大阪に戻ることになりました。さあ、母にどう言うか?それにしても91才にもなって、ここでも入試や会社訪問のような、入所面接があるなんて・・。世の中、最後まで競争なのですね。

☆2023年3月6日:C八木の面接結果は??

当日はLINEによる面接となりました。私は予め、実家に帰り、母には「今とは別のケアマネが面接したいと言っている」ので、14時からテレビ電話をするでと言っていました。そのことを、C八木の担当者には予め伝えていたのですが、面接側が担当者ではなく、ケアマネと介護福祉士の2名であったため、途中で「こちら(明石)の施設の場合・・」と言い出すので、私が「ちょっと待って」というような具合でした。それでも、母は、質問にはしっかり答えていましたね。

私が、面接後に明石に帰ると、C八木のケアマネのHさんから電話があり、結果として3月から入所できますとの回答がありました。その時は、「えっ・・、そんなにすぐ決まるの?」という感じですね。その後、私の頭の整理をして、契約日程(3月27日)と入所日程(4月3日)で進めてもらうことにしました。でも、あっけなく「合格」したので、すぐに何をすべきかわかりません。いろいろ聞いていくうちに、まず、住民票を移すことが大前提で、次に今の大阪の通院先のドクターに「診療情報提供書」か「照会状」が必要とのことでした。何か急に「こと」が進むんですね。母がある面ではしっかりしていることもわかりますので、今後、入所をどのように受け止めるかを考えると憂鬱になりますね。こっちの頭の切り替えがしんどい感じです。

☆2023年3月7日:グループホームUH大久保を見学で思わぬことが判った!

C八木の入所の可能性がでてきたのですが、近くの他のグループホームで予め見学を予約していたUH大久保に行きました。対応してくれたUさん(男性)は、私の母の状況(緑内障や少し喘息気味なども含め)をいうと、途中でノートを閉じてしまい全く聞く耳を持たずになりました。というのはそのUさん曰く、「明石市では住民票を移してから1年以上で納税証明がない人は、グループホームへの入所はできない」というのです。そのため、ここ(明石)の入所者で、家族が横浜の人がいて、その家族は定期的に横浜からここに来ているというのです??。私もすでに、明石市内の数件の見学をして、入所前に住所を移せばと入れると聞いてきましたし、そのような指摘は初めてというと、「それはおかしい」という始末です。その後、話をしても無駄のような言い方をされ、こちらとしては、見学も途中で帰らざるを得ませんでしたね。後味の悪い見学になりました。家に帰って調べてみたのですが、確かに「慣れ親しんだ所で」という前提乍ら、1年いないとダメという記事もみあたらず、何を根拠にそのようなことを言うのかわからず、もし「この人は入れたくない」ということであるなら、断るためだけの詭弁で、憤りを感じましたね。

☆2023年3月13日:診療情報提供書の準備で再三の帰阪!

C八木から、母が2か月に1回通院しているK眼科とT病院から「診療情報提供書」か「紹介状」をもらうように要請されたため、予め電話でお願いをして、この月、2回目の帰阪をしました。K眼科の方は予め作ってくれていたのですが、残念ながらT病院は、今週末には作っておくからとのことでした。これで、今月は3回、大阪に行かなければならなくなりました。車で片道80キロ、高速代(往復約4000円)がもったいないので、国道2号線と43号線を使い3時間から4時間、結構大変なのです。私の年齢からして今後もこの移動を続けるのが、さらにしんどくなることを考えると、母が近くに来る大きな理由の一つではあるのですが・・。

☆2023年3月14日:住民票はいつ移すのか?

グループホームへの入所は、住民票がその市にあることが大前提が、どの時点で転入させるのかわからなかったので、C八木のケアマネに尋ねると、「3月27日の契約日には必要はない」、「4月3日の入所日以降で構わない」とのことでした。入所前にしなければと思っていましたので、ちょっとびっくりです。

また、どのようにして手続をするのか、C八木のケアマネに尋ねましたところ、わからないので、各市役所へ確認してほしいとの回答でした。私のようなケースは経験がないこともまたびっくりです。大丈夫かなと思いましたね。そこで早速、両市役所に電話したところ、次のような回答でした。①現在母の住む大阪のH市での「転出」手続は、「マイナンバーカード」保有者の場合は、転出の30日前から、マイナンバーポータルアプリですべてスマホで手続ができる。②C八木のある明石市では、転入日から14日以内に、委任状やマイナンバーカード等必要書類を持って、実際に市役所にいく必要があるとのことでした。また、健康保険証や介護保険証ができるまでは、それからまだ暫くかかるようでしした。今回は、4月1日のデーサービスまでは、H市で受けたいので、4月2日を転入日としたいと考えています。

☆2023年3月17日:C八木に入所時の準備すべきものを聞くと?

とにかく初めての経験なので、下着など必要な準備物を聞くことにしたのですが、まず、持ち物に名前を書くことが必要なのです。衣類は一緒に洗濯するのだから当然といえば、当然なのですが、それ以外のものにも名前は書くのですね。ちょっと戸惑いました。私からは、質問と確認すべき事項をまとめてメールしましたが、以下のような点でした。

—————————以下メールと電話での回答を転載———————-

◎住民票の転入日については、4月1日(土)の大阪のデイサービスを最後にしたいので、4月2日(日)を転入日としたいと考えています。 →OK。

◎質問と確認事項

① 27日の契約日に、保険証等を持って行きますが、当然、大阪のものですが、よろしいですね。 →OK
② 内科は、Cクリニックで往診と薬が処方されると思いますが、どのようなサイクルで訪問診療されているのですか? →2週間に1回、先生が来院。
③ 眼科は、現在、2か月に1回、緑内障の診察(眼圧と視野狭窄)と薬の処方をしてもらっていますが、どこの眼科でもよいのでしょうか? →どこでもよい。Y眼科が近い。介助での通院は30分800円、緊急2000円。
④ 指と肩の痛み対策として整形外科で塗り薬を処方してもらっていますが、経過観察だけで処置は不要ですので、塗り薬だけを内科で処方してもらえないでしょうか? →OK、Cクリニックの先生に言う。
⑤ 室内用の靴は、踵のあるたとえば子供の上履きのようなものでよいのでしょうか?→介護用のマジックテープのついたもので、外用と内用2足を使い分ければよい。
⑥ テレビは、大阪から移動しますが、40インチでもOKですか? だめなら何インチまでですか?→皆さんは大きくても30インチ。自由ですが・・。入所後判断。
⑦ 今のテレビを持ち込む場合、大阪で使っていますので、兵庫県のチューニングが必要です。入所日に私がすればよいのでしょうか?→入所後相談
⑧ 面会時間は、1回15分、1日1回でしたか?、年に2~3回、東京から娘(母の孫)と孫(母のひ孫)が来ますが、この時の外出はできなかったですね? →面会は1日1回で10~15分。喫食を伴う外出は不可。コロナが二類を外れれば別途基準も。
⑨ 母は毎日、養命酒(極小カップ1杯)を寝る前に飲んでいますが、これは継続できますか? →OK。職員が管理する。
⑩ 母は年末に押絵をしていますが、ハサミと押絵用の小アイロンは使えますか? →アイロンはNG。ハサミは共有で。
⑪ 裁縫道具(糸と針程度)は持ち込めますか?(アパレルメーカーの仕立や手直しをやっていました) →上記と同様。
⑫ この前見学させてもらったのは、2階と思いますが、今回はグループホームの3階ですよね? →昨年4月から2階3階ともグループホームになった。2階の小規模多機能は止めている。ネットの情報が古い。

閑話休題:2023年3月15日のNHK朝ドラ「舞い上がれ」で勝さん(山口智充さん)の言葉で「子育てはだんだん楽になっていくけど、介護はその逆やねんて」・・・・蓋し名言ですね。

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母の介護奮闘記-2

目次:80キロ離れたひとり暮らしの母の介護奮闘記-2

☆2022年12月:要介護審査とその結果は?・・要介護2から4になった! 私の年齢を聞くと??

☆2023年1月:グループホーム見学・・見学中に見覚えのある人がいた!

☆2023年1月:またも新聞の定期購読を契約していた!

☆2023年2月:いよいよ決断をしなければならないか!

☆2023年2月:特養(特別養護老人ホーム)を訪問してみた!

その後)

母は、2022年1月以降、週7日の介護支援を受けながら、何とか、一人で家事をやり、生活をしていましたが、それ以前と違うところは、次のようなところです。

①風呂はデイサービスの週3日だけで、それ以外の日は、私が月に2~3回、実家に行き、風呂に入ると、最初の頃は私の後に入ったりしていましたが、2022年の春頃から、全く入ろうとしなくなりました。

②毎週月曜日にヘルパーさんに買い物に行ってもらうのですが、2022年の夏くらいから、総菜(エビ天3個、かき揚げ1個、カボチャの煮物等がほとんどです)が多くなり、お米は炊くのですが、それ以外の料理はほとんどしていないようでした。但し、本人に聞くと、料理はやっているというのですが。また、「さとうのご飯」や「カップ麺」もヘルパーさんに買ってもらうことが増えてきました。

③2022年の夏くらいまでは、私がいるときは外を歩かせようと連れ出すようにし、以前の散歩コースのごく僅かな距離(往復200メートル程度)を目標にして、私が転倒を注意しながら、一緒に歩くようにしましたが、これも行けなくなり、家の中だけの歩行となりました。また、その後、家の中でも歩くのを避け、ものをゴミ箱に入れるのに、一歩が出ずに投げいれたり(当然うまく入らずに散らかるのです)することが多くなりました。

④洗濯については、かろうじて、デイサービスから帰るとすぐに洗濯物を洗濯機に入れてやっていました。

☆2022年12月:要介護審査とその結果は?・・要介護2から4になった! 私の年齢を聞くと??

市から届いた介護の認定通知(要介護4に)

2022年12月に、市から介護の審査がありました。その時の母は調子は良かったのか、自分の年齢、その日の季節、月日(これは、目の前に大きな表示のデジタル時計あり!!)は言えましたし、歩くのは、家の中であれば、基準の5メートルは歩けますので、審査をされた方(担当ではないケアマネ)の言い方では、どうも等級が下がることもあるとの言い方でした。

2023年1月15日になり、介護審査の結果がでました。要介護4でした??。1月16日に、担当ケアマネとの面談があり、この結果には、少しびっくりされたようでした。要介護2から4にすぐになるケースが少ないようでしたね。たぶん、緑内障による歩行への影響(右目しか見えず、かつ視野狭窄で下部の120度が見えない)と、かかりつけ医の所見が影響したのでしょうね。また、たまたまですが、要介護4に認定後、母に「年末に来てくれたのは誰?」と聞くと、私の娘(母の孫)が来たのに、ヘルパーさんの名前を言ったり、私の年齢を聞くと間違っていたり(以後、何度聞いても間違う)、私と母は干支が同じなので、自分の年齢から24を引いてみてと言っても、きょとんとした顔になり、意味がわからずと、私がびっくりするようなことがありましたので、確かに認知症が進行していました。

☆2023年1月:グループホーム見学・・見学中に見覚えのある人がいた!

母が今般、要介護2から要介護4になったので、私なりに次のことを考えなければならなくなりました。そこで、母を担当している訪問看護師さん(Nさん)に、母自身のためには、今後どのような施設(費用のことを横に置いてという前提で)が良いのか聞いてみたのですが、Nさんは、ここ1年近く、母を見てきて、「グループホーム」がいいのではないかとのことでした。私は、要介護3以上は特養ということしか思い浮かばず、特養は、何百人待ちという世間の情報と、グループホームは、認知症の人が前提であること以外に知識がありませんでした。特養にしろ、グループホームにしろ、ケアマネや訪問看護師さんの意見は、当然のように私の住む明石で探すというのが前提になっていて、それもどうかなあと思っているような状況でしたが、要介護4を受け、明石市の包括支援センターに相談し、リストをもらい、私の家の近辺のグループホームについてあたってみることにしました。

明石市のグループホーム見学:2023年1月24日に、初めての見学となったグループホームの「C江井島」は、対応してくださった管理者のKさんは、明るく溌剌とした女性で好感が持てました。私が大阪から母を連れてくる場合に、一番の懸念は本人にどのように言って連れてくるかなのですが、同じような場合にどうしているのか尋ねると、「転倒される等で、その後、入院先からそのまま連れてこられるケースが多いですね」、「認知症が進んで、ここに来る意味が解らない」とかの実例!を挙げて説明してくれました。この「C江井島」は、3階建で、2フロアで18名の定員で、今は空きがなく、まずは登録して順番待ちとのことでした。また、ここでは、機械式浴槽があり車椅子でも入浴できることや、「看取り」まであること、母の唯一の趣味であるカラオケも、このコロナ下でもやっているとのことで、びっくりでした。料金の明細ももらいましたが、月に17万円+医療費(1~2万円)とのことでした。また、同系列の近くの「C魚住」には、「現在、小規模多機能の施設と、ここと同じグループホームがあるので見学されますか」と言われたので、その足で見学に行かせてもらいました。そもそも「小規模多機能施設」の意味が解らなかったのですが、グループホームでは法規制で認知症があることや、1フロア9名などがあるのですが、この小規模多機能施設は、認知症がなくても入所できる等の違いがあるようです。(追記:「C魚住」は、グループホームの定員は9名で、私の家の近くにもうひとつ「C八木」もあり、ここは定員18名の由です。)

次に行った「C魚住」も、好感の持てるケアマネのMさんが案内をしてくれました。ここは少し古いのと、狭いのですが、基本的なサービスは「C江井島」と同じで、現在、1名の方が小規模多機能施設の入居を検討されているとのことでしたので、入所を決めるのが早ければ、入所できるようでした。

翌日2023年1月26日には、やはり家から近い「グループホームS」の見学に行きました。ここは、4階建てで、2階と3階がそれぞれ9名のグループホームとなっており、4階は事務所と一部が屋上のグループホーム用の家庭菜園のエリアがありました。ここでは、担当の若いSさんが案内をしてくれましたが、前日見学したグループホームと違い、入室時の体温チェックも手指のアルコール消毒もなく、前日は入所者を遠くから見るだけでしたが、ここは入所者と顔を合わせるという管理状態でした??。また、ここでは、私にとって実はびっくりするようなことがありました。それは、入所者の部屋に名前が書いてあったのですが、私の知人と全く同じ名前を見つけたのです!。そこで、その部屋の人がどんな人か気になっていたのですが、帰り間近かになって、その部屋に入って行く人の顔が見えたのです。びっくりしました。それは、明らかに以前私の勤めていた会社にいた知人でした。その人は確か私より一回り(12才)上ですので、今年80才と思いますね。この時は本当にびっくりしました。その人の現役時代を知っていますが、活動的で信頼感のある管理者でした・・。

2023年1月27日には、やはり家から近い「グループホームSP」の見学に行きました。ここは、「グループホームS」と同系列で、やはり4階建てで、2階と3階がそれぞれ9名のグループホームとなっており、ここでは、担当のOさんが、約1時間かけて、説明と案内をしてくれました。料金については、「グループホームS」よりも基本料金が3000円アップするだけで、基本的な条件は同じとのことでした。また、「グループホームS」と同様で「看取り」はなく、基本的には、風呂に自分で入れる(浴槽を跨げ、自分で浴槽から立てる)ことが条件で、ここでの生活が無理なら、系列の特養(特別養護老人ホーム)があり、ここを勧めるか、老健(老人保健施設)でリハビリをして戻ってくるという話をされていました。ここでは、カラオケがないことや、カーテンは購入する必要があること、入所者は携帯を持ち込めないこと、料理は一緒に作るが配膳はさせない等の説明を受けました。これらは運営者によって本当に違うようです。また、ここの系列のグループホームは、住民票をグループホームへ移すことはできないこともわかりました。なお、こちらでは、ちゃんと入室時の体温チェックも手指のアルコール消毒もあり、2階のフロアは遠くから見るだけでしたね。

☆2023年1月:またも新聞の定期購読を契約していた!

2023年1月27日にケアマネのYさんから電話があり、ヘルパーさんからの情報で、家にM新聞が置いてあり、母に聞くと、定期購読をしたようだとのことでした。新聞については、緑内障の進行で文字を読むと疲れるということで、4年ほど前に自分で契約を止めたのですが、その後に一度、勧誘で家に上げた人から断り切れずに、「今ならサービスで缶ビールが2ケース付く」と言われ、契約してしまい、これも事後に私が電話をして苦労して断ったことがありました。

今回もケアマネからこの話を聞き、すぐに母に電話をし、事情を聞くと、「ボケ防止にいいと思った」と。また、勧誘は2~3日前だと言うのです。今回は、認知症が進んだことに加え、一旦家に上げてしまうと、断ることができないという生来の弱さが出たのでしょう。

私は、クーリングオフの期限内ですので、当然すぐに連絡先を探し、断りましたが、何と2年の契約をしていました。

☆2023年2月:いよいよ決断をしなければならないか!

2023年1月は結局、実家には3回行き、母の様子を見ていると、歩き方が摺り足なんですが、歩幅が短くなっているようです。またこの時は、大寒波の年で、デイサービスのための朝の着替えもゆっくりですし、かつ、着替えも、ガスファンヒーターの前にきて暖をとりながらです。私としては、冬場の一番の心配は、ガスフアンヒーターの前にものを置いて乾かすことなのです。なお、母は、以前から火の始末は心配していて、早くから料理用のコンロは、ガスからIHに換えていましたが、冬場の暖房は、やはりすぐに暖かくなるガスファンヒーターに頼ることになりますので、いつも、早く春が来てくれたらと思っていました。

2023年2月1日に、いつもお世話になっている訪問看護師さんに、いろいろ話を聞いたのですが、やはりそろそろ決断をすべき時期かなと思いました。なかでも、私が一番気がかりな、住み慣れたここ大阪から、私の住む明石に行くことに関しては、「どこにしろ、初めての人の中に飛び込むことになるので、大阪でも明石でも結局は同じことです。」ときっぱりアドバイスしてもらったことで、何かふっきれた感じになりました。どのようにして連れて行くのかの問題は残りますが、明石であれば、逆に頻繁にいくこともでき、コミュニケーションが増すことも可能かなとも考えました。

☆2023年2月:特養(特別養護老人ホーム)を訪問してみた・・

ネットで特養(特別養護老人ホーム)について検索してみると、明石でもほとんどが、100人待ちというようなことがでてきました。また、大体が見学そのものもしていないとのことでしたので、参考までに調べていたのですが、2023年2月2日に、家から近い特養(特別養護老人ホーム)に電話をしたところ、快く訪問に応じてくれました。今回は、「P江井島」というところで、担当の若いNさんは、誠実そうな方でこちらの質問に真摯に応えてくれました。ここでは、約40人待ちであることや、現在は看取り介護者が8名いるとのことで、特養の現実を見たようで複雑な気持ちになりましたね。入所の基準は、ポイント制(評価基準表をもらいました)で審査会で決定しているとのことで、重篤な方や緊急性のある方を優先しているとのことでした。また、そこで頂いた資料で判ったのですが「預貯金が1千万円以上(これは申告制とのこと?)なら、負担が違う」とのことでした。私の母の場合は、国民年金だけで年金額は80万円以下ですので、要介護4で預貯金が1千万円以下だと負担は月額68,412円なのに、1千万円を超えると165,132円に跳ね上がります。また、後者の場合は、グループホームよりは、2~3万円安いということになるようです。残念ながら見学はできませんでしたが、部屋のレイアウトで説明を受け、10人で1組(1管理単位:ユニット)になっており、ここでは7ユニットあり計70名の方がおり、それぞれユニット毎に食事等の管理をされていて、欠員があれば順次に埋めていく(すなわち認知症や重篤との関係なしに)とのことで、写真を見ると基本的には、ユニット型(個室)は、グループホームと同じような感じでした。

また、特養の場合にはリハビリを目的にしていないので、コロナのため、みんなで体操もできず、近くの散歩程度はやっているとのことでした。私の母のことを考えると少しでも歩いてほしいというのが願いなのですが・・。ここは、系列のグループホームが別にあり、ここでは看取りがないので、系列の特養に入れるようなしくみになっているようでした。

2023年2月3日に、これも家から近い「地域密着型特養」の「F大久保ケアホーム」に電話をして、できれば資料が欲しいと言い、訪問すると、担当のTさんが資料だけでなく、40分くらいかけて丁寧に説明してくれました。「地域密着型特養」は通常の特養と違い、入所する前に住民票を移すことが条件となっており、私のように母を大阪から連れて来る場合は、事前に一回連れてくるか、老健に入ってから担当医師とのリモート面談をした上で、さらに入所決定前に住所を移す必要があるとのことでした。また、今回初めて知ったことがありました。まず、入所者は携帯電話、冷蔵庫、テレビ、ラジオ等を持ち込めることです。そんなに自由度があるとは思いませんでした。また、コロナ以前は、家族との面会も滞在時間も自由だったとのことでした。但し、コロナでこれが完全にストップしているとのことで、これは今後のコロナ次第でしょうね。また、外部との接触がなくなると、今まで多かった施設内の感染症が激減した由でした。また、ここでは昼間の医療処置ができても夜の医療処置が必要な入所者、例えば、胃ろうやたんの吸引が必要になった人には、退所してもらわざるを得ないとのことでした。ここは、3ユニット定員29名と少なく、待っている人も数十人で、今も空きが出て順次電話確認中とのことでした。実際に電話すると、すでに他に入所していたりと、見かけ上の数字では判断できないとのことでした。なお、費用的には、前述の「P江井島」より少し低い程度でした。ここで一番印象に残ったのは、母の現在の状況を説明するのに、動画を見せたのですが、Tさんは、「今の状態ならグループホームがいいですね。うちでは基本的にリハビリ的なことはマンパワーもなくできないですからね」と言われました。率直に言ってくださったのは有難いことでした。

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